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2007.04.03
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カテゴリ:家族

たくさんの方から、父へのメッセージを頂戴致しまして
本当にありがとうございました。

今回は誠に申し訳ありませんが、個別へのレスはご容赦いただき
皆様への感謝の気持ちは、こちらのメッセージにて代えさせていただきます。

ここで、亡き父を偲びながら父への思いを綴って
最後のお別れをしたいと思います。

生前の父は、幼少の頃に母親を病気で亡くし
父親が再婚相手に選んだ義母が、自分の連れ子ばかりを可愛がって
父親の子供達には酷い仕打ちの連続で、相当苦労したんだよ・・・と
父の親族からはよく聞かされていました。

ですので、高校を卒業すると飛び出す様に田舎を出て東京へ行き
就職をして、働きながら夜間大学に通い、頑張って卒業したそうです。

その後、国家試験である資格を得るために脱サラし
資格と関連する仕事に従事しながら、独学で国家試験の勉強をして
苦労した末に資格を取得。

独立開業してからは、それはもう典型的な仕事人間で
事業を拡大させようと、ほとんど休まず
仕事に付き合いにと、かなり無茶な生活をしていたようです。

その証拠に、私が子供の頃は
父と一緒に遊んだ記憶がほとんどありません。
腎臓病になったのも、そんな無茶が祟ったのかもしれませんね。

父は、このように努力家で苦労人でもあり、自分にとても厳しい人間でした。

ですが同時に、とてもワンマンな人でもあり
母や子供の私達にも非常に厳しかった。

だから自分の考えを、有無を言わさず押しつけたり
自分の思い通りにならないとイライラして家族に当ったり
また、自分が努力して数々の困難を乗り越えてきた人なので
例えば、私が希望していた大学に合格出来なかったとすると
それは酷い言葉で罵ったり
人が傷つくようなことを吐き捨てたりする人でした。

母も家事をこなしながら、父の仕事を手伝っていましたが
そんな母に対して、とても辛く当たったり
子供の出来が悪い部分を母のせいにしたりする人でもありました。

ですので、家の中は父の顔色を窺いながらいつもピリピリした状態で
私はそんな父に対してずっと反発していたし
正直言って父のことを好きではありませんでした。

そんな私も大学2年生の時に、いろいろと悩みましたが
父と同じ仕事の道を歩むことを決心し
大学卒業後、何とか資格を取得することが出来ました。

この時が、私の事で父が一番喜んでくれたのではないかなぁ?

そして一緒に仕事をするようになったのですが
やはり家庭と同様に、仕事のやり方や考え方で相反する部分があり
父とは仕事場でもよく衝突しておりました。

でも仕事を一緒にするようになってからは
周囲の父に対する評価や、また父の仕事に対する情熱や誇りはスゴイものがあり
今まで父親の見えなかった一面が見えてきて
父に対する感情もだいぶ変化したのは事実です。

その後も父とは諍いが時々はあったものの、仕事を一緒にしていましたが
父と親子の縁が切れそうになるほど一番遣り合ったのは
やはり今の妻と結婚する話になった時。

妻が外国人で、しかもフィリピン人であることに
対外的なメンツを最優先に考えたのか、猛反対されました。

もちろん、こちらも負けるわけにはいかない。

とりあえず先にフィリピンで結婚式を済ませて入籍し
長男も誕生して、着々と外堀を埋めながら父に対抗しました。

それでも日本で籍を入れるのは両親に許しをもらってからにしたかったので
妻にも理解をしてもらって、暫くフィリピンで待ってもらうことに。

そして父に結婚を認めてもらえるよう説得を続けている矢先に
突然、父が脳梗塞で倒れたのです。

なんとか一命を取りとめ
約半年間の入院生活で半身は不随となってしまったものの
退院して自宅で療養出来るまでになりました。

それまでは仕事場でも家庭でも
いつも凄い形相でいて人を寄せ付けない感じの父でしたが
まるで憑いたものが取れたように穏やかな表情になって、別人のようでした。

そして、退院して初めて迎えた父の誕生日に
どうしようか迷ったけど、思い切って
妻が贈ってくれたバースディ・カードを父に渡したら
「早く(妻と子供を)日本に連れてきてあげなさい。」と父の口から思わぬ言葉が。

それからは、急いで日本での入籍を済ませ
準備もソコソコに、妻と子供に急いで日本へ来てもらいました。

今まで結婚に反対していたウチの両親と妻がうまくやっていけるか
子供も日本の生活になれてくれるか
とても心配しましたが、そんな事は直ぐ杞憂に終わり
妻も母を手伝って父の面倒をよく看てくれたし
子供も父が元気になる源になってくれ、よく一緒に遊んでくれました。

父と最後に接したのは、亡くなる2日前で
病院で食事を終えた後、トイレに行きたいというので
私と母で病院の便所へ車イスで連れて行き
私が父の固くなった身体を担いで便器まで運びました。

願わくば、もっと長生きしてもらいたかったけど
人一倍プライドの高い人だったので
私なんかに面倒を看てもらうのが耐えられなくなってしまったのかな?

または、亡くなる際も苦しむことがなく、本当に寝ているような顔のままだったので
もういい加減、闘病生活から開放されたかったのかもしれません。

私も家族と一緒に生活するようになってまだ1年半しか経っておらず
子供が6歳なので、子育てもまだまだこれからです。

これから夫として、父としての役目を果さねばなりませんが
世間でよく言われるように、父の、今まで私達に見せてきてくれた姿を
少しずつでも理解出来るようになるのかもしれませんね。

父が脳梗塞で倒れた後、父が私に対して
「今まで酷いことをしたり言ったりしてすまなかった。」と
謝罪の言葉を口にしていたことを母から聞いた時
父の、あの厳しかった態度は、決して本意ではなかったのかもしれないなぁと
思い直すようになりました。

私は父のように厳格な父親にはなれないけれど
父とは違う道であっても、家族や会社を頑張って守っていこう。
その評価は私が死ぬ時に周りが下してくれるだろうから。

************

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。m(_ _)m
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最終更新日  2007.04.03 21:34:10
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