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カテゴリ:英語あれこれ
先日、英語を学習するにあたり「手段は関係ない」ことをお話した。今回は上達の進度についてお話したい。
子供の頃、私はピアノを習っていた。習っていたといっても、本気でピアノが弾きたかったというより、たまたま知り合いのお姉さんがピアノを弾いていたので、そのお姉さんに憧れていただけかもしれない。練習もろくにせず、ちっとも進歩せず、下手なままなので、それを他人に聞かれるのが嫌でますます練習できなかった。悪循環の繰り返し。 当時、ピアノを習っているお友達は結構いた。 「○○ちゃんは、私よりも小さい頃から始めた(習っている期間が長い)ので、私より上手くて当たり前」、 「◇◇ちゃんは、週に2回も習っているので、私より上手くて当たり前」、 「△△ちゃんは、お母さんがピアノ上手だから、私より上手くて当たり前」 と、子供心に他人が上手なのをなにかのせいにして、(本当は自分が練習しないからできないだけなのに)、いい訳ばかり言っていた。 習い事を始めると、特に子供時代は(子供も親も)その進度が気になる。気持ちはとてもよく理解できるのだが、(自分のピアノの思い出があるので)、実は進度の速さはあまり関係ない。初期段階の進歩はすぐに追いつくことができるからだ。 むしろ心配なのは、「○歳で、△△ができた」とか、「始めてわずか○年なのに、◇◇がもうできる」といった感じで、形として見える進度を求める気持ちが強いあまりに、本来大事なその習い事の楽しみを奪ってしまうことがあることだ。結果は後でついてくるもの。そればかりを目指していると、楽しみの学習は長く続かない。 子供時代のコンクールとか、テストのような期限のあるものであれば、「それまでに成果を」期待するのはわかる。しかし、大人になってしまえば、「子供時代にどれだけできた」なんて、たいした自慢にならない。大人になればよくわかる。何歳だろうと、何年か過かかろうと、(より)できるようになった方が結局はイイのだ。学生時代、苦手科目だったのに、社会人になって何年も経っていつのまにか英語が(学生時代の優等生より)ずっとできるようになる人だって少なくない。5年かかろうと10年かかろうと、自分の実力が上がればそれだけで大きな進歩なのだ。 学習は親を喜ばすためでもなく、他人と競争するためでもなく、自分のためにする。簡単なようで、意外とこれを理解するのに時間がかかる。本当にこの意味に気付いた時こそ、自分のために学習し、確実に進歩していけると思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.10.28 12:09:21
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