A幼稚園ありがとう 1 (保育園の計画の巻)
ここの所、自分の仕事の数年の様子を書いてなんだかすっきりしていたのだが、息子のことについては、「下痢うんちを水のように床に広げてしまい、親を泣かせて反省…」という3歳児のまま日記が終わっているので、しばらくはその後の4年間のことを少しずつ書こうと思う。 この事件の少し前に「自閉性発達遅滞」と診断を受け、「今できることとして、少しでも早く、いろいろな人と接する機会を作った方がいい」と医者に言われて、「すぐにでも保育園に」という気になって探し始めた。幸いにして「障害児枠」なるものがある市町村だったので、こちらが希望すれば入れるとのこと。 街の方に2つ、山の方に1つ、候補の保育園があったのだが、街の方は元もと大人数なので、「一瞬たりとも目が離せない」 「たくさん人がいるとそれだけで不機嫌になる」 うちのSには少しでも少ない方が良さそうだ…ということで、山の方の保育園を見学に行った。本人もふくめて親子三人、アポなしの見学にもかかわらず快く受け入れてくれた。 ちょうどお昼寝タイムだったらしく、保育士さんと話もできたし、設備とかも見せてもらい、脱走しにくい作りも確認し…「よし」と思ったのだ。本人はその間に園庭の砂場で遊んでいて、何かに怒って大泣きのパニック! 寝ていた子達を起こさんばかりの大泣きだったが、保育士さんに一番大変な状態を見てもらえたのでかえって良かった(プロは全然動じていなかったし)。あとは検査や役所への手続きを確認して、「来月からお世話になります」みたいなことを言って帰宅した。 ところが、思わぬ障壁が待っていた。 妻父である…。まだこの頃の彼は、Sに障がいがあることをうまく受け入れられてなかったのだ。その保育園のまわりは、Sが赤ちゃんの頃からの乳母車散歩コースでもあり、父にとっては友人とか同級生とかに会う道であり、そういうもろ地元の地域だった。そこにある保育園に、今の状態のSが入ることで、「いろいろみんなに知られて恥ずかしい」と思ったようで、保育園行きに猛反対するのである…。 妻の父母(同居中)は、思いこみが激しく、絶対にゆずらず、おぼっちゃまお嬢様感覚…という難しい人たちで、「友だちの親にめっぽう強い、愛される男」だったはずの私でさえもこの家ではうまくいかないのだ…。でも本当の親子なら、こういう感じの人たちとはすごくケンカのしがいがあるはずなのだが、妻は逆らわずに生きてきたので(外ではいばっているのだがうちでは弱い)、調子こかれてしまうのである…。(20年前に倒しておくべきだったのだ) 当時、送り迎えをできる状況なのは義父しかいないので、説得できないとなればあきらめざるをえなくなってしまったのである。 これは確か3歳になったばかりの11月頃の出来事だったと思うのだが、こうして、保育園通園計画は、じじばばの「私達が何とかする」(結局は他人とふれあう機会はないので何とかはならないのだが)のことばに負けて消えてしまったのである。 ちなみにその頃のSは、何か乗り物に乗っていないと落ち着かなくて大泣きし始める…という状況だった。一日に5回以上、義父とその辺を車でドライブしていたらしい。ベビーシートに座ると笑うほど静かになるのだ。さらにもう体が入らないのに無理やり乳母車(ベビーカー)に乗る。 そして家の中での究極の乗り物は…「人」。一日中、だっこだ、おんぶだ…とせがむし、ちょっと腰をかがめると「お馬さん」にされるし、このいつのまにか乗られ…は今も続いており、小学校でも年上のお姉さん達にうまいことだっこしてもらっているようだ。(得なヤツ!) うちでは「抱かれ上手」と呼ばれている。