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テーマ:ひとり言・・?(17621)
カテゴリ:独り言
一番最初に、夢中になったのは、野球です。
これは、親父が経験者だったので早くから教えこまれました。 小学校入ったときは、してたかな?といってもキャッチボール程度 この頃、楽しくて毎日一日中壁に投げてました。 努力した覚えはないですね。 お陰で、近辺では一番うまかったかも(同年代では) 小学校2年で、子供会のソフトボールに入れてもらいました。 リトルリーグとかは近くに無く、子供会はすごく活発でした。公園のグランドを確保するのに大変だったようです。親も熱心で(今のようではなく)練習は学校終わってからもあり日曜日は、午前と午後もやってました。北九州の枝光ではこれが当たり前でした。 小学校3年では補欠で、時々出れる程度。 その後4年で転校して中央町へ 子供会・商店街チームはあまり強くなかったです。 驚いたのは、練習の少なさです。日曜日でも親が練習を教えにこないのです。 それでも自分達だけで午前中だけはやってました。たまに教えに来ていたのが高校生か大学生の人であまりありがたくなかったとこのころ思ってました。 野球は巨人で王・長島の影響大でした。 それでも努力した覚えはありませんね。ただ好きで楽しいからでした。それくらいでもうまかったと自負してます。 転校して4年からは、レギュラーで6年ではキャプテン。といっても子供会ソフトレベルの話。 6年の時は一つ上の大会で「8子連」と呼ばれる大会にでました。初めての出場で最悪でした。 中学校では野球部はなく、他のクラブにも入らず帰宅部となる。 中一になってすぐ、商店街でスピードガンコンテストがあり、100kmちょっとだったと思いますが、1位になりました。 小遣い稼ぎで、新聞配達(夕刊のみ)をしてました。1日1時間程度月曜から金曜日までで1月1万円位でした。 この頃友人の影響でロードレーサーを買い走りだしました。 中学校の間は、キャッチボールと壁投げ程度でした。 あの頃の大人は、みんな心が広かったですね。よっぽど悪い事をすれば怒られるけど遊んでいる事で目くじら立てる人はいませんでした。 壁に一日中投げたら、うるさかったでしょう。 たまには暴投して家の中に入ることも、それでも懲りずに次の日にはやってました。 遊びでは、中央町の商店街のロータリーで野球してました。(庭球で) たまに、店に入るとボールを取られてました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年12月11日 11時08分20秒
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