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続々・幼少期
かくして美味いカレーに舌鼓をうち、スクスクと育っていく私でありますが、ここで私の後の人生になんやかんや影響を及ぼしたはずの祖父、繁夫の話を少し。 繁夫は戦時中えらく寒いところに出兵されていたそうで、なんどもそのときの話しを聞かされていました。 そこは極寒の地、そりゃ凍るわけですよいろいろ。そこで繁夫は言うのです、「下世話な話、小便するとそれもすぐ凍るんや。せやから銃弾が無くなったときにはその氷柱を投げるんや」 繁夫、俺はまだ半信半疑なんだ。もう確かめることができないのが心残りだ。 茶菓子をくれるからって耳タコ作って聞いてたけどさ。 繁夫は戦時中に受けた傷の後遺症で、僕が幼稚園に入ってすぐに寝たきりになってしまうのだが、何度か幼稚園の迎えに来たことがあります。 親が共働きで家事は祖母にまかせっきりとなれば、繁夫、あんたの出番だ。 繁夫を一言で表すと「ファンキー」これにつきます。繁夫は趣味で畑を耕していて、その畑仕事の後に迎えにきます。愛機はホンダ技研工業製スーパーカブ90、荷台にはには取れたて野菜をてんこ盛り。 幼稚園で配り、スイカ割りも好評と味を占めると週3回と大盤振る舞い、ありがたみがなくなっちまうよ。それに加えて写真の趣味ももってやがって毎回記念撮影。繁夫、トイレ行ってる奴まで待たんでいい、さっさと撮らないと笑えないぞ。 勿論こんな生活が長く続くわけもなく、2ヶ月でダウン。なんとか1年持ちこたえた末天に召された。南無(合掌) しかし繁夫は噛めば噛むほどのスルメで(見た目もそうだったが)飲食店経営、マラソンランナー、相撲もとれば得意技はうっちゃり、水泳選手で背泳ぎのターンはまさにイカ姿、警察署長からの感謝状多数、老人会副会長(惜しいなぁ)等等、出るわ出るわ。これでもまだショートケーキのイチゴの部分だと思ってほしい。 では本題に参りましょう。 繁夫亡き今、跡継ぎとしてなんて気負いは全くなく、私は元気に成長していきます。 幼稚園の友達とも家に遊びに行ったりすることが多くなりました。そう、僕はスパ美ちゃんの家にお呼ばれする毎日でした。 2人で庭のブランコに乗ったり、ウサギにキャベツをあげたり、ピアニカでセッションしたり。2人の時間はこのままずっと続くんだと思っていた。 スパ美ちゃんの家にお呼ばれした男の子がもう1人、僕と1番の仲良しで、クラス内で僕との人気を競っていた男の子だ。 彼は1番背が高くて、走るのも1番早い男の子。名前はまた母に倣って高いのトールと早いのファーストを混ぜてトフ君と呼ぶことにしよう。 トフ君は僕の憧れだった。身長、足が速い、幼い頃はこの2つが人気者の鉄則でした。 スパ美ちゃん、トフ君、そして僕、3人の時間がはじまったのです。僕らは豆と人参とジャガイモみたいに仲がよく、どこへ行くにも何をするにもずっと一緒だった。 僕らの幼稚園は2年制、1年は年少さん、2年は年長さんと呼んでいました。僕らが年長さんになり、ちょっとマセた男の子達がハバをきかせるようになった。 お目当てはもちろんスパ美ちゃん、他のクラスの男の子が休み時間にちょっかいを出しに来るのが当たり前になっていたのだ。 でも僕らは豆と人参とジャガイモだ、トフ君と僕はスパ美ちゃんを泣かすようなやつらは絶対に許さなかった。僕の幼い夢を残して、卒園の日が来るまでその関係は続いたのだ。 そして、待ちに待った行事、「お泊り会」の日が来た。クラスのみんなと1泊2日、生まれて初めて親とはなれる。みんなと、トフ君と、何よりスパ美ちゃんとお泊りだ。会の前日、僕は興奮して寝るに寝れず、当日の朝祖母の繁子(しげこ)に背負われて集合することになる。繁子は「ハードパンチャー」の異名を持ち、一見松ぼっくりのようなソフトアフロヘアーが特徴である。僕の友人いわく、「あの人は120m離れててもわかる」そうだ。140cmあるかないかのミニマムボデーにちゃっかり騙されて迂闊に近寄ると、そこいらのチンピラヤOザは裸足で逃げ出すという噂は有名である。 ともかくなんとか間に合った、これから僕は大人への1歩を踏み出すのだ。(いやほんとに) どこへ行ったのかは忘れてしまった。場所は関係なかった、汽車に乗ったりコーヒーカップでグルグル回ったのは覚えているが、近場の遊園地かどっかだろう。みんなはしゃいでいた、スパ美ちゃんとトフ君とミクちゃんと僕、同じグループでカルタをしたりレゴで遊んだり、しりとりを始めるといつまででもやっていただろう。食事の時間はもう大変だ。僕は今では考えられないが当時はかなりの偏食で、全て食べ終わるまで先生が付きっ切りで見ていた。それがこの状況で発展するとこうなる。まず僕はこのときまさに人気No1だ、女の子はまるで超伝導磁石にでも吸い寄せられるかのように集まってくる、そして僕は偏食だ、苦手なものがあるとなかなか食べない、すると必然的に「ほらアーンして食べて」「ほら食べて」と女の子たちの総口→撃がはじまる、先頭はスパ美ちゃんときたもんだ。先生はそれを見て「この子たちったらw」のん気なもんである、僕はどうにかなってしまいそうだ。(今となってはもうシステムを利用しないと経験できないことだ、嘆かわしい) お風呂にも入って後は寝るだけ。でも話しは尽きない。 するとスパ美ちゃんが「トフ君足速いね」と言い出した。「ほんまやね」「絶対追いつかれへんもん」トフ君は凄いなあ、かっこいいなあ、僕の憧れ、トフ君は僕の憧れだ。 僕も足早くなりたいなあ、速くなったらスパ美ちゃんに言ってもらえんのに「早いね、凄いなあ」って。 僕は走った、もっと早く走るために。トフ君の走り方をずっと見ていた、どうやってるんだろうと。トフ君と同じ靴も買ってもらった、トフ君が食べてるものは全部食られべるようになった。トフ君は言った「もっとな、グワーーってやんねん」そう教えてくれた、でも分からなかった。僕は叫びながら走っていた。「グワーー、グワーー」 僕は怖くなっていた、このままじゃトフ君においていかれそうで、スパ美ちゃんと一緒に居れなくなりそうな気がして。 僕はトフ君には追いつけなかった、もうミクちゃんと手をつなぐこともない、スパ美ちゃんともお別れしないとしけない。卒園の日。 体育館で園長先生の話を聞きながら泣いていた、教室に戻るときスパ美ちゃんが、トフ君が、ミクちゃんが手をにぎってくれた。みんなばらばらの小学校に行ってしまう。でも、もう合えないんだとは思わなかった、だから泣いてるんじゃない。このままで終わってしまうのが嫌だったんだ。教室でも僕は泣き続けていた、我慢しても滲み出てくる涙を拭っては鼻を啜っていた。一人ひとりに別れの言葉をかけていた先生が僕のところへ来た。 「どうしたの?」そう、先生は分かっていたんだ、僕がお別れだから泣いてるんじゃないってこと。僕は恥ずかしくて先生だけに、みんなには聞こえないように話した。トフ君に追いつけなかったこと、ミクちゃんの手の振り方のこと、スパ美ちゃんに言ってほしかったこと。 「いっぱい大切にしたいことがある子へプレゼント」 先生にキスされた。 クラスのみんなに見られてる、みんなのお母さんやお父さんにも、自分の母にもばあちゃんにも見られてる。そして祖母繁子の「アラーー」の一声でクスクス笑いと拍手が教室を包んだ。 「大切にね」 唇をはなしてそう言った先生の顔には微笑と涙が浮かんでいた、僕の涙は止まっていた、鼻水は少し出たままっだったと思う。 4人で手をつないで門まで走った、トフ君がミクちゃんをおんぶして、2人は同じ小学校に入学する、トフ君が一緒ならきっと大丈夫だろう。スパ美ちゃんと僕は別々の学校だけど、大丈夫、白いウサギ饅頭の魅力ならどこに行ってもマドンナになる。みんなのお母さんから仲良くしてくれて本当に感謝してるとお礼を言われた、トフ君とはかたい握手、スパ美ちゃんとミクちゃんからはほっぺたにキス、同じくトフ君にも。(もう1回僕にしてほしいと思っていた、貪欲なのだ) 「お母さんたちもしてあげよっか?」と乗便されそうだったが、丁重にお断りした。(ここで愛想というものを学んでおけばよかった) 幼少期・完 少年期へ続く <あとがき> 1番長いであろう幼少期、端折ってばかりですが形にはなったかなと。 メインストーリーだけでもどうにか騙し騙しですが。 サブを入れるととんでもないことになりそうです。 さて、小ネタをば少し。 ファーストキスを奪った先生ですが、かなり美人です。 行事の際には子どものパパさんたちはカメラのファインダーを 自分の子どもではなく、この先生に向けていた程です。 もちろん祖父繁夫もその1人、しぶとい人です。 繁夫の死後に発見したことですが、僕が年少さんのときに担当していた 先生は通称クジラと呼ばれてまして、プールのときにスクール水着を着た その先生に私が付けた呼び名なんですが(なんと失礼な) ご想像の通り肉弾的です。その先生の写真は皆無。 で年長さんのとき担当の先生の写真は出るわ出るわで。 卒園式の帰り、母のコメント「あんたやるやんかあ」 祖母繁子の付加「あの先生ほんまベッピンさんやなあ」 母の詰め「男前やなあ、お母さんともしてよ」 息子の対処「棺おけに入ってからな」 作者の結論(子どもをからかい過ぎるとスレてろくな大人になりません) <あとがき完> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年09月16日 09時05分05秒
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