035219 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

From~AVALON

From~AVALON

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Profile

nami san

nami san

Calendar

Category

Freepage List

Favorite Blog

Archives

2024年11月
2024年10月
2024年09月
2024年08月
2024年07月

Headline News

2008年09月16日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
少年期


かくして私は、ついに学校教育法が定める9年間の義務教育課程に入ることになった。
この少年期では小学校の6年間を、今時の流れに便乗して軽量化&コンパクトに書いて行きます。


入学式。洒落こみましたよ、スーツでビシシッと決めて。髪型は当時のイケメン御用達、ピッチリ七三分け。母いわく「あんた1番おっとこまえやなあ」でした。その言葉を信じて胸を張っての晴れ舞台。新入生の集合写真を撮り終わった後、早速女の子に声をかけられました。「あんたミカンみたいやなあ」。
なんて失礼な子だ、自分でもおでこが丸出しなのは気になっていたが、このままでは「ミカン」というあだ名で6年間を過ごさないといけないかもしれないじゃないか。人の口に戸は立てれない、身の危険を感じた僕の対応は早かった。幼稚園の頃とは打って変わってやんちゃ坊主へとまっしぐら、華麗な転進だった、ここに女の子はいない、みんな敵だ。


3年生の頃だったと思うが、図書室で漫画はだしのゲンと出会う。
体を動かすことに生甲斐をかんじていた僕は、漫画やアニメには縁遠い生活を送っていた。周りの男の子が週間少年ジャンプでドラゴンボールや幽遊白書、るろうに剣心に篤くなっている頃、僕はお小遣いをこれっぽっちも貰っていなかったのだ。ジャンプは廻してもらって読んでいたクチである。そんなとき図書カードを作っていつでも読めるはだしのゲン、仲沢先生ありがとう、中岡兄弟ありがとう、ダグラス・マッカーサー元帥ガッデOファッOンばっきゃーろー。


小学校に入ってすぐ、地元のサッカークラブに入った。最初は1年生が僕を入れて2人と寂しかったが、6年生になったときには20人くらいいた、全学年では120人くらいだったか。小さい小さいチームだったが、キャプテンを任されていたのだ。(入門序列ではない、実力主義だ)6年生の全国大会のとき、2回戦で去年準優勝したチームと対戦することになった。そのチームにはなんと幼稚園の憧れのトフ君がいたのだ。試合結果は2-1で敗退、善戦したほうだと思う。でもトフ君に足で競り勝っていたのだ、試合に負けて勝負に勝ったということか?まあ個人的には結果ドローだ。でも身長は180超え、僕はまだ160cm、トフ君、君は何をどうやって食べてるんだい?


小学校に入って煙たかったのは姉の存在である。2つ違いということで、幼稚園ではなかったパブリックな環境での姉は、まさに目の上のコブをさらに踏んづけられているようなものだった。酉年生まれのかに座のB型、通称チーちゃん。お察しの通りの姉貴肌で背中に般若でも背負ってんじゃないかと思う、日焼けして捲れた皮膚をきれいにいっぺんに剥がすことにこの上ない喜びを感じる乙女である。(どこがや)

忘れもしない3才の時の記憶。この女に家の階段の最上段から突き落とされたのだ。16段もあったんだ、大切な跡取りをなんだと思ってんだ。はじめて生で鬼を見たんだ、どこをどうやってもあの何事もなかったかのように自分の部屋に隠れた鬼の姿は消えはしない。

言い出したらキリがないがもう1つ、4年生のときガラスの灰皿で頭をカチ割られた、重さは1キロはあったと思うがタバコは消せるわ凶器になるわでなにかと重宝していた代物でだ。
もちろん僕は胸ぐらをつかみ返しただけで手は上げていない、これでも女のような姿をしていたからだ、でもそう見えたのは今殴られたせいでは?やっぱり鬼?血が出てないのが不思議なくらいだった。(割られたと思ったんだほんとに)


そんなことを数限りなく繰り返すチーちゃんだが、なんと本人は私のことを「可愛い弟」と思っているらしい、これが問題なんだ。チーちゃんは自分と同じ年の男の子たちに「弟に手出したらしばくで」と校内を徘徊していたのだ。こっちが余計に気を使ってしまう。そして「OOOがあんたと一緒に遊びたいんやって、どう?」実の弟を売る気だ、裏で絶対に金が動いている、間違いない。だがそれもこれも姉が6年生の文化祭で、舞台上でへそだしルックにピンクのセンスを持って悪友数人と全校生徒の前で踊り狂って卒業し、僕が中学校に入学するまでの2年間は平穏を保つことになる。


そして僕の5~6年生の学校生活は有意義に過ごせた。運動会で応援団をして、1~6年間、校内のマラソン大会全てで1位を勝ち取った。担任の先生と殴りあったこともあったが、振り上げた拳を下ろす場所がなかったのだ。あれは互いに拳で語り合ったんだと先生も言っていたのでそういうことなんだろう。そう言えばよく学校の屋上に上って遊んでいた、もちろん立ち入り禁止だが、そこから打ち上げた花火はきれいだった。サイレンの音も耳に残っている、大阪の子どもなら彼らとは仲良くなっていたほうがいいこともある。自転車を改造するのが流行った時期もあった。ハンドルをひん曲げたり2段シートを付けたりロケット、六角、パトランプなどなど。僕はマウンテンバイクだったのでそんなことはしてないが。まあそんなこんなで無事6年間を過ごして卒業することになる。






青春期へ続く






<あとがき>

少年期としてまとめたが、かなり偏った内容になってしまった。
でも6年間も同じ顔を見て生活するんだからいいかげん飽きもするだろう。
違う学年との交流が少ない学校だったし、中学校まではエレベーター式に
勝手に引き上げられていくだけだ。
この頃の僕はスポーツで食って行くんだと考えていたから勉強もそこそこに
学校が終わったらボールを持ってグラウンドに集合、日が暮れるまで
ボールを蹴る毎日だった。(こういうのを本文で書いたほうがよかったのかな?)

近所の悪ガキ程度のやんちゃしかしていなかったので、武勇伝なんてのも
ないわけだが。試しに被害額が1番高かったのが公園内にある博物館の厚さ
10mm縦3m横1.2mのガラスを、鬼ごっこをしている最中に走って突っ込み
頭でカチ割った40万円だ。さっきまで開いてたんだ、閉めたやつにも責任
があるだろうし、キレイに磨きすぎだと思う。きっと何人もぶつかってた筈だ。
ちゃんと管理室の職員さんを呼んできて説明したら、修理費用は市が出して
くれることになった。「割れないように出来てるんだけどなあ」と言われたが
こっちはおでこにたんこぶがしっかり出来てるんだ、いったい何が言いたいんだ。

お小遣いは6年生で月1000円くらいだったが、スポーツ飲料水に消えてしまう。
経済的にはなかなか物分りがいい子どもだったんじゃなかろうか。
だから多少の出来事には目を瞑ってもらってもいいと思うんだが。



<あとがき完>







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008年09月16日 12時38分16秒



© Rakuten Group, Inc.
X