「あるがまま」と「あきらめ」
勤務先の作業所の利用者で28歳になるAさんという女性がいる。アチキが出張先から戻ってきて、カセット珈琲(1杯ずつ取れるようになっているレギュラー珈琲)を飲もうとしている時にAさんが、アチキに向かって不思議な事を言ってきた。Aさん「それなに?グミ?」アチキ「ん?いいや、違うよ。」Aさん「じゃ、ピコタン?」アチキ「えっ!ピ・ピコタン???なんじゃ、そりゃ。」Aさん「ウサちゃんのピコタン!」Aさんは、精神病と軽度の知的障害があるものの、この発言は明らかに変だ!これは、聞き捨てならん。アチキは、「ん?この珈琲がピコタンに見えたのかい?」Aさん「うん。」アチキ「どこらへんが似てるの?教えてよ。」Aさん「(泣き顔で幼いふりをして下をうつ向く)。」アチキ「ちょっと、顔を上げてこっちを見て。今さ~っ、この珈琲をみて『ピコタン!』に見えるか?」Aさん「見えない。」アチキ「見えないのに、ピコタンと言いたかったんだ。」Aさん「うん。」アチキ「うーむ、今は、もう気がついたと思うけど、珈琲をウサギのピコタンと言った自分の事をどう思う?」Aさん「恥ずかしいことだし,子供っぽい事を言ってはいけないと思う。」アチキ「おおっ、凄いな~っ。色々わかっているみたいだねぇ。で、アチキに何を言いたかったのかな?」Aさん「うーーーん。申し訳ありません。」アチキ「謝るようなことなのか?」Aさん「ごめんなさい。つい、ピコタンと言いたかったから。(服のすそを持ちながらモジモジしている)。」アチキ「これはアチキの推測なのだけど、ただたんに話をしたかったのかい?」Aさん「うん。」アチキ「では、話し掛けるのが難しかったんだ。いきなり、ウサギのピコタンは驚いたよ。(笑)」Aさん「エヘヘ。。。」アチキ「恥ずかしいか?」Aさん「エヘヘ。。。」アチキ「じゃ、今後どうしようか?」Aさん「言い方を考えます。」アチキ「おおっ、凄い!よし、じゃ時々練習しようね。」Aさん「はい。」アチキ「返事もいいねぇ。わかってくれてありがとう。よかったよ!」Aさん「どういたしまして。(まだ日本語が変ですが。。。)」まぁ~毎度毎度のやりとりなんですけど、あきらめずに粘り強くこういった支援をしております。(やりかたは、賛否両論あるでしょうけどね。)話を聞いてみると、どうも朝から変だったようで、他のメンバーの髪の毛をひっぱったり、物を隠したりと、幼児的な言動がみられていたようである。そこにいた職員も他の利用者もその言動に対して何も対応していなかったようである。どうも、出来ない人は出来ないまま。わからない人はわからないまま。あるがままを受け入れて受容的に受け止めるというお考えのようである。「あるがままの受容」たしかに綺麗な言葉である。が、それはAさんを見下し差別していることと大した差はないと思う。これは、「あるがまま」というか「あきらめ」に近いのではないかと考える。アチキは、Aさんと限らず、Bさんも、Cさんも、そして自分自身も色々な事情や立場もあるし、現時点では一先ずOKだと思う。ん、あるがままの受容なのかな?が、それにもかかわらず、今、自分がなさねばならぬことにはベストを尽くしてやっていく行動力が必要だと思う。支援者は、自らサポートすることも大切だが、周囲をそういう雰囲気にしていくのが仕事であろう。何も対応しないのは、厳しいが無責任というものだ。あるがままの態度には、受容的な面だけでは偽善であるし、無限地獄に陥ってしまう。そこからもう一歩、実際の行動によって乗り越えていくという能動的な側面が必要だと考える。生きている限り、あきらめちゃいかん!