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猫姫の初七日。
寂しくても日々は変わりなく過ぎていきます。一人っ子になってしまった犬姫がとても甘えッコになりました。 21年をちょっとだけ振り返らせてください。 猫姫と出会ったのは21年前、娘が小学一年生の時。 先代の犬姫の散歩中、普段ならついてこない娘、普段ならそこまではいかない散歩道、そして見つけた車にはねられただろうまだとても若い母猫。姿は見えないけれど聞こえるかそけき声。 浅い側溝の中に落ちて泣いていた目も開いていなかった赤ん坊の猫姫。そんな出会い。 いろんな偶然が重なった出会い。 当時、何度か生まれたての野良猫の赤ちゃんを保護しつつも命を助けてやれなかった私は 必死で猫姫の育児をしました。この子にすてきな飼い主を見つけるために立派に育てようと。 そうなんです、里親を見つけようと、我が家で飼う予定ではなかった。 でも飼い主は見つからず、そして手放せなくなり21年。 だからほんとに小さい時の写真がないんです。写真撮ってしまうと未練が残って人に渡せなくなるからと。それが後悔。 旦那が狩りを教えました。完全室内飼いで外には出していないのですが「いいか、やられそうになったらここを狙え」と急所を教えていました。 娘とは仲良しでした。娘の口の中の甘いキャンディを狙ってよく娘とキスをしていました。 先代の犬姫は猫姫を育ててくれました。出産経験のない犬姫でしたが出ないおっぱいを猫姫に含ませ、懐の中に抱えて可愛がってくれました。 私をとても慕ってくれました。 そんな中で成長した猫姫は家族をとても愛する猫に育ってくれました。 よく猫は家につき犬は人につくといいますが猫姫は「家族」につきました。 先代の犬姫を狙って庭に侵入した迷い犬の前に飛び出して行って犬姫を小さい体で守りました。 鳴っている私の携帯を手に取ろうとした人の手をはたいて、私の携帯を守りました。 二階に上がってこようとする姑さんを階段の一番上で仁王立ちになり、唸ってそれ以上行かせなかった。 ある意味、私と娘を守りました(笑) 現在の二代目犬姫が家にやって来た時は教育をしてくれました。 調子に乗ると鋭い爪でパシッと制裁を加えていました。 だから犬姫は猫姫が水を飲んでいるとちゃんと待ってから飲むというわきまえた子に育ちました。 三年前同居していたじいちゃん猫が他界したとき(享年23歳) 、普段からそんなに仲は良くなかったのに 血尿を出して私たちを心配させました。強い態度ですが、ほんとは心優しい子でした。 晩年はじいちゃん猫と同様腎不全を患いましたが、頑張ってくれました。 夏あたりから少しずつ食べる量、体重も減ってきましたが、少し持ち直したので安心していたのですが。 中々自分で食べるのが難しくなってきたので、シリンジで強制給餌していました。嫌がって立ち向かう強さをまだ持っていました。 歩くのもよろよろでトイレに行くのもやっと、トイレの前で間に合わなくなる・・・・そんな状態なのに 階段を下りて階下に行く。亡くなる八日前でした。 下は寒いからと連れ元戻すも何度もそのフラフラの体で降りていく。 それは亡くなる三日前まで続きました。 猫姫は自分が若いころ生活していた階下の部屋、一部屋一部屋を、よく覗きに来ていたお風呂場を、 家族が外出先から戻るまで待っていた玄関マットの上を、みんなと遊んだソファをそのよろよろの足で ゆっくりゆっくりと歩いて回りました。 全部回って納得したのか、それから寝たきりになりました。亡くなる二日前でした。 かなり危ないかも・・・・ということで前の日から娘が実家に戻っていました。 娘に給餌してもらいました。 翌日朝のうちに帰るはずだった娘は結局昼近くまでいました。 娘のいるうちに…と五分ほど犬姫のおしっこさせに私は外に出ました。 私が戻り、十五分後のバスに乗るつもりの娘が猫姫のそばに来たその時。 その時が来てしまいました。 体が三度、ビクッびくっと。何かを吐き出すように一瞬の苦しみ。 静かに横にしてやると私と娘に肉球や頭をなぜてもらいながら、その呼吸は静かに静かに薄くなっていきました。 出会いもそうでした。 いくつもの偶然が重なっての出会い。 別れもそうでした。 私の戻るのが少し遅くても娘が帰るのがもっと早くても私たちは猫姫と最後のお別れができませんでした。猫姫が最後に私たちにご褒美をくれたんだと思います。 猫姫が亡くなったら、私の落ち込みがひどいだろう…猫姫の生前、旦那は言っていました。 でも猫姫が亡くなって一番落ち込んだのはたぶん旦那。 うちに来た時から亡くなるまで家族の中で一番一緒の時間を過ごすことのできた私。 悲しいけれど自分の体の中には猫姫との21年間がぎっしりぎっしり詰まっています。 ありがとう。 ありがとう。 一緒にいてくれてありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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