とこなつ
あじゃりもちを目の前でもさもさもさもさ食われてしまった、昨日の帰り電車。実はあじゃりもちを実際食したことが無かったので、あんなにもよく伸びるお菓子だとは思わず、感動エコ。あ、感動もエコになる気がする。だって、もう、何もいらなくなっちゃうもの。それ以外、何も要らない。まず、灯りとか要らない。暗闇でも、思い出せるほどの感動なら。あと、ご飯は我慢できる。精神的に満腹だもの。・・・ただ、超一時的な効果しか得られないことをご了承ください。地球人は不思議。感動を求めて、また飢えて飢えて、飢えた顔して徘徊して、やばい見つからない、と、思いはじめたら焦りだして、別段なんにも問題なんてないのに、焦りだして、何も不自由ないはずなのに不自由感に苛まれて、かといって何処にいっても何も変わらないかも、と、思うほど悲しくなって、無理やりな感動なんて要らないとかいって意地張って、哀しくなって。