カテゴリ:ごあいさつ
所は仙台東照宮、第4日曜開催の骨董市。
それは、6月の薄曇りの日の朝8時頃でしたでしょうか。 高性能なカメラ付きの携帯を新調したので、写真を撮りに行ったのです。 そこで出会ったのが、紺色の地に大ぶりの乱菊が白で抜き染められた一枚の浴衣。 その一枚を手に取って買い求めてしまったがために、キモノ魂に火がついてしまいました。 前からキモノは好きだったのですが、一人暮らしの面倒さもあってついつい疎遠になっておりました。 その焼け木杭に火がついたと申しましょうか…。 思い返せば小さな頃から、ことあるごとにキモノは着せられておりました。 それもそのはず、母は和裁の学校に通っていたということ。 七五三のキモノは随分と長く着たはず。 二十歳の時には目の飛び出るような値段の振り袖まで購入してもらっておりました。 夏祭りのための浴衣は、覚えているだけでも5~6枚は買ってもらった筈でございます。 キモノを着る時のわくわくした感じ、嬉しい感じは、私の中にそれはもうはっきりと存在しているのでございます。 お正月に雪が降ればキモノで初もうでに行けなくなると、それはもうがっかりしたものでございました。 そこへ、第一次キモノブームとでも言いましょうか、全国津々浦々の乙女達がキモノに狂い始めたのは、かの有名な「きものであそぼ」が発刊された頃であったような気がします。 かく言うワタクシも、2年前の夏の終わり、衝動的に自分で買ったファーストキモノ(1,000円で古着屋で購入した化繊の単衣でございました)を手に、これをどうしたらいいのかということすら分らぬまま、キモノ本を買い、見よう見まねでキモノを着付けて、若い頃には和裁学校に通っていたという母に貶されながら、近所に骨董市があると聞けば日の出から馳せ参じ、遠くに古着キモノを置いている店が在ると聞けば喜んで駆け付けてはその値段に挫折していたのでございます。 しまいには呆れた母に家を追い出され、アルバイトをしながら月末の骨董市で500円1,000円のキモノを買い求める生活を続けていたのですが……とうとう挫折というかなんというか……まあ、ありていに言えばキモノに飽きてしまったのです。 それでも母親に「お前は嫁には行かないだろうから」と買ってもらった10万円!の和ダンス一杯に詰まったキモノは、思い出せば着たいなあと思いを誘われ、時折袖を通しはしたものの…。 そのたびに、色柄が良くても合う帯がなかったり、帯を買ったものの今度はキモノに合わなかったりと衝動買いを続けた間抜けさが露呈するのでした。 思えば、月に一万二万しか自由にならない一人暮らしのアルバイト生活で、キモノを着ようというのがおこがましい事であったのでしょう。 その頃は足袋を買うことすら長い思案が必要であったのです。 そして、就職し、月に自分に使えるお金が増えて、はっと気付いてしまったのです。 ”今なら昔諦めた、三千円や五千円、いや、一万円のキモノだってぽんと買える!” ……それがオークション漬けの毎日の始まりでございました。 いつの間にヤフオクが一般人解禁になったものでしょうか。 未だに忘れられないのは、縮緬の青い地に、花柄の蝶が染め抜かれた染め帯でございます。 きっと手持ちのキモノに似合うものと、購入したいのはやまやまでしたが、当時は「クレジットカードを持っていないとヤフオクを使えない」という制限があり……購入できる金額だったにもかかわらず、涙を飲まざるをえなかったこと。 そして今、そのフラストレーションを爆発させるがごとく、オークション廃人になった私を、誰が止められるというのでしょうか。 気付けば、ほんの一週間で、キモノ2枚の帯3本、下駄を2つも買ってしまっていたのです…! そして、日頃おつき合いのあるチャット仲間の快諾に甘えて、憧れの普通布地で帯の制作まで依頼する始末。 そんなキモノ馬鹿のキモノ熱がどうなりますことやら。 とりあえずは発散してみようと思い立ちましたこのなながつここのか。 御笑覧頂ければ幸いと存じます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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