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カテゴリ:友達と過ごしました!~話のネタ~
遅く起きてようやく朝ごはんを食べ始めた私の前、
食卓に向かい合って座る おじいちゃん(88歳)が、朝日新聞朝刊24面を読んでた。 「軍隊の先輩達が、戦争に行く前のおじいちゃんに、 ソ連は強いと言っていた。 当時から現場では”日本は負ける、負ける”と言われてた。」と、 ノモンハン事件の白黒写真を指差しながら言い出した。 そこには、大破したソ連の戦車が一台遠くに写り、 手前に匍匐前進をするたくさんの日本兵が写っていた。 見るからに日本が勝ち進んでいるかのような写真。 24面は、日本が起こした戦争を写真とインタビューで 振り返る特集記事。 「良いことしか公に出さんからね。 先輩は”ソ連は強い。”と。 おじいちゃんは、重砲兵だったから、 大砲と一緒に隊の一番後ろで進んでいたからいいけど、 ”機関銃を持って、先頭に立たされたらやられるぞ。”と言われた。」 「大砲担当のおじいちゃんは、0距離攻撃の訓練をさせられたんよ。 というのはね、ソ連の戦車が 逃げて帰ってくる日本の戦車を追い越しちゃうんだよ。 だから、500~600メートル目の前に現れたソ連軍戦車を 狙って、爆破するための訓練をしたんだ。 大変よ。 大砲は信管を切って、打ってから何秒後に爆破するか設定するんだけど、 それを0で打つんだ。 目の前で爆破するから・・・・。」と、両耳をふさぐおじいちゃん。 「・・・自爆しちゃう!!」と私。 「そう、打ってすぐ爆破するようにする。これは、難しいんよ。 うまくやらないと、大砲の中で打つ前に爆破しちゃう。」 ひえー・・・・。そんなの無茶よ。 っていうか、ソ連に追い抜かされる程度のスピードしか出ない戦車ってどういうこと! 役立たず!日本の戦車。負けるに決まってんじゃん・・・。 おじいちゃんが”軍隊に取られた”のは昭和16年、 19年8月に帰ってきて、後に太平洋戦争が始まったから、 命拾いしたらしい。 逆におじいちゃんの親友は、 第一生命ビルの屋上で勤務していて、 「内地でよかったね」と言っていたのに、 その後に、フィリピンへ送られ、 おじいちゃんが満州から帰ってきたら、 「あー、あれは戦死したよ。」と会社の先輩に言われたらしい。 そんなの悲しすぎる。 私の親友がそんな死に方したら、と思うと悲しすぎる。 でも、当時はそんなこと日常茶飯事だった。 ひどい、ひどすぎる。むごい。 「機関銃は、ソ連や中国を相手に戦うように出来てたからね。 玉を一発打ったその圧力を機関銃の後ろに持っていって、 次の玉を打つんだ。」 と、指をクルっと手前に引き戻しながら、教えてくれた。 「でも、銃が冷えないとその圧力は戻ってこない。 ソ連、中国で戦った後、 南方で戦った時は、休み休みじゃないと機関銃は打てなかった。」 「は~、そりゃ日本は負けるわけだよねぇ。」と私。 ほんと、ちょっと現実を見れば、 負けるに決まってるのに、 治安維持法とかで誰もそんなこと言えないようにして、 ひたすら国民を鼓舞して、 新聞の見出しにもあった「勇敢さ」だけで「無策」だったのね。 悲しい。 おじいちゃん、いろいろ教えてくれてありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月11日 11時13分23秒
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