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カテゴリ:人生
人は、よく思い出す「幼い頃の思い出」があると思います。
それは楽しい思い出かもしれませんし、いやな思い出かもしれません。 繰り返し思い出す事によって、その思い出は潜在意識に刻み込まれて、その後の私達の人生に影響を与えます。 私もよく思い出す「幼い頃の思い出」があります。 私は幼い時、父と母が不仲になり、ある日母が私を残して出て行ってしまったので、父は困って自分の実家がある四国に私を連れて行ってそこに私を預けました。 ですから私は3才から6才までの3年間、父方の祖父母のもとで暮らしました。その3年間の間、父は一度も私に会いに来ませんでした。 祖父母が私を連れて、父の所を訪れた事がありました。知らない女の人と暮らしていて、赤ちゃんがいた事は覚えていますが、それが何を意味しているのか幼い私にはわかりませんでした。 おまけに、父に会いに行った日の夜、留守にしていた四国の祖父母の家に泥棒が入り、あわてて帰ったのでした。帰って部屋に入ると恐ろしく踏み場のない程衣服や物が散乱していました。ショックを受けた私はその場面のおかげで、部屋を散らかすのがいやで、無意識に掃除をしてしまう人になりました。 小学校にあがる前に母が迎えに来たので、祖父母との生活はそこで終わったのですが、その3年間の事は、私には強烈な印象として、今でも色鮮やかに蘇ってくるのです。 3度死ぬ程悲惨な目にあいました。1度目は寝ている間にムカデに刺されてしまったのです。あんなに痛い思いをしたのは初めてでした。 2度目は家から飛び出した際に、通り掛かりの自転車に激突してしまったので す。打ち所が悪くてしばらく意識不明になっていたそうです。 3度目は急性気管支炎になり、咳と痰で何度も窒息しそうになりました。病気や事故の繰り返しでしたが、なぜか暗い性格にはなりませんでした。 私は、この3年間の思い出を「親から見捨てられた3年間」として30代の前半までネガティブな思い出のカテゴリーに入れていました。 ところがある日、その3年間を思い出していたら、親はいなかったけれど、ちっとも寂しくなかったのに気付きました。祖父母が私にしっかり愛情をかけていてくれたからです。 特に祖父は神様のように優しい人で、私の手を引いて山によく連れて行ってくれました。手先がとても器用でしたので、竹飛行機や紙細工をたくさん作ってくれました。何も言わずいつもニコニコしていました。私は祖父母から一度も叱られた事がなかったのです。 やっとそれに気付いた私は「親から見捨てられた3年間」を「親が留守をしていなかった3年間」に書き替え、ポジティブなカテゴリーに入れる事にしました。それによって両親を許す気持ちが出てきて、この3年間の思い出を明るく人に言えるようにもなりました。祖父母は他界してもういませんが、いつも感謝しています。 いろんな事情で親の愛情が受けられなかったとしても、思いやりを持って接してくれた人はいたはずです。 「幼い頃の思い出」からいろいろ学びました。 宇宙エネルギーと潜在意識(解読...ジュネ)感想コーナー 「集合意識メルマガ・No Problem」のご登録 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 24, 2007 01:35:47 AM
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