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宇宙エネルギーと潜在意識(解読...ジュネシーン)

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みなさま!
こんにちは∞

19日の記事の続きをお話しいたします。

大震災の時、私と一緒だった気仙沼の友人をこれ以降「T子さん」と呼ばせていただきます。

今思い出しても、あんなに長く激しく揺れた地震はなかったし、揺れた方は誰もが自分のいる場所が震源地だと思ったことでしょう。

揺れが収まった直後、T子さんは気仙沼にいる高校生の娘さんの携帯に奇跡的につながり連絡が取れました。娘さんの通う高校は、気仙沼の高台に建っていて安全な場所です。彼女はまだ学校に残っていたのです。お弁当はいらない日だったのにお弁当を持って登校し、クラブ活動をしているお友達を教室で待っていたら、地震になったそうです。もし、お弁当を持ってこなかったら、既に下校して津波に遭遇していたかもしれませんでした。

T子さんは、息子さんもいますが、東京の大学なので気仙沼にはいませんでした。心配なのは、T子さんのご主人です。ご主人は医師で、ご自宅の隣に病院を開業されています。診察中で患者さんも多い中、大津波警報がでて、大変なことになっているのではないかと思いました。

「うちの病院は3階建てで、その上には屋上があります。主人は従業員と共に患者さんたちを屋上に避難させるはずです。」とT子さんはしっかりした口調でおっしゃいました。

以前からT子さんは、津波のことを気にかけていました。気仙沼をはじめ東北の太平洋側リアス式海岸の地域は、過去何回も津波に見舞われています。チリ地震の時も津波が来ました。

ですからこの地域に住んでいる人々は、いつか津波が来るかもしれないという意識を持って暮らされていたと思います。でも今回のような、予想外の大津波がやって来るとは、誰も思っていなかったでしょう。

地震がおさまって、私はビジネスパートナーのN氏がホテルにいることを思い出しました。3人で食事をした後、N氏は仕事があるのでホテルの自分の部屋に戻ったのです。こんな地震の後ですから、ホテルやビルはどうなっているかわかりません。すでに携帯は不通になっています。

このような状態で、N氏を残して行くわけにいきません。私はT子さんにN氏のいる仙台駅方面のホテルに戻ってくれるよう頼みました。

地震直後の仙台市内の中心街の様子は、余震を警戒して、たくさんの人達が歩道や中央分離帯に集まっていました。不安そうにしていましたが、大騒ぎになったりパニックを起こすような気配はなく、みなさん冷静だったように感じました。

街中、停電しているので信号はすでに作動していませんでしたが、大きな交差点も、ドライバーはみな用心しながら譲り合いながら車は流れていました。

一番驚いたのは、建物やビルなどが、なんともなっていないのです。壁や窓がこわれたり剥がれた所はあるでしょうが、ビルが崩壊したり、何かが崩れ落ちたり、火の手があがったりするようなこともなく、私が見た限り街は大丈夫でした。

T子さんによると、仙台は宮城沖地震を経験しているので、建築基準がとても厳しく、しっかり建てられているそうです。

ホテルの前に着いたので私は車を降り、ホテルに入りました。2階のロビーは真っ暗で、何十人もの人が集まっていました。その中にN氏はいませんでした。

フロントから内線でN氏の部屋に電話をかけてもらいました。「お出になりません。お部屋を見にいかれるならご一緒します」とホテルの方が言ってくれましたので5階まで非常階段を駆け上りました。「Nさん!Nさん!」と呼びながら部屋のドアを叩きました。応答はありません。きっと外へ避難しているのでしょう。

でも部屋で気絶しているかもしれないし…まさかそんなこと…N氏にはありえない。などと考えていると、「マスターキーを取ってきます」とホテルの人は私を残して降りて行きました。

暗い廊下にひとり残った私は少し離れた自分の部屋に戻ってみました。部屋は空気清浄機が倒れ、スタンドが倒れ、バスタブにはシャンプーやリンスが散らばっていました。ハンガーの掛かっているパイプも折れていました。かなり揺れがひどかったようです。

ホテルの人が戻って来ないので、非常階段を降りようと思いました。すると非常階段を上って来る足音が聞こえてきました。N氏でした。あまりにもひどい揺れで、建物が倒壊するのではないかという恐怖心から、揺れが収まった直後に非常階段から外に出て、外で待機していたということでした。

私達はT子さんの車に乗り込み、午後から伺うお家をめざしました。車が走っている時も止まっている時も、かなり強い余震が続いていました。街がどうなっているか、これから私達がどうなるのか、この時はまったくわからない状態でした。

車は20~30分ほど走り、高台の落ち着いた雰囲気の住宅地に着きました。「ここのお宅です」とT子さんに教えてもらったお家は、まだ咲いてはいませんが、お庭に薔薇がいっぱい植えてある、こじんまりした素敵なお家でした。ここは守られていると直感的に感じました。

出て来られたIさんご夫婦は、T子さんの以前からのお知り合いで、T子さんと強い信頼関係で結ばれているようでした。

すでに電気、水道、ガスは使えませんが、Iさんご夫婦は、普段から地震に備えていらっしゃったのです。浴槽とタンクには水が溜まっていて、バケツに水を汲んで、トイレに流すことが出来ました。いくつもの懐中電灯と電池も用意されていました。びっくりしたのは、いつか使うかもしれないと、反射板付きの石油ストーブと灯油も備えていらっしゃったのです。

Iさんご夫婦の奥様が、「今日、T子さんとジュネさんが来られるので、食器棚を整理していました。そのおかげで大切なお皿が割れませんでした。」「食糧もいつもよりたくさん買っています。」「どうぞ、うちに泊まっていって下さい」とありがたい申し出を受けました。

情報収集は、ラジオとワンセグです。気仙沼がどうなっているのか、私達は固唾をのみながら、聞いていました。ひっきりなしに余震は続いていました。大津波は気仙沼の街中に押し寄せて街は壊滅的でした。

そんな中、T子さんは病院のご主人とはまったく連絡が取れていませんでした。おまけに、気仙沼は津波で石油タンクが倒れ油が流れ出し、あちらこちらから火の手が上がり火の海になっていたのです。ワンセグの小さな画面でも見るに耐えられない地獄のような光景でした。

自分の生まれ育った街、今住んでいる街、今日の朝までいた街…T子さんの心境を察するとかける言葉もありませんでした。

「私だけじゃないです。街の人達みんな大変な思いをしています。家はいつかまた建てればいいです。」T子さんは、感情的になったりオロオロしたりすることもなく、しっかり冷静にこの事実を受け止めていました。

彼女は嫁ぎ先のご先祖を大切にし供養してきました。「T子さん、病院の屋上に避難した人達もご主人もきっと大丈夫よ。救助が来るわ」と伝えました。

Iさんご夫婦とT子さん、N氏と私の5人は余震の続く中、夜通しいろんな話しをしました。解読もしました。どんな時も感謝して明るい生きて行きましょうと、心がひとつになりみんなに笑顔が戻りました。

不思議ですが、感謝で心が満たされている間、余震が来なかったのです。来たのかもしれませんが、まったく揺れを感じませんでした。


翌日の12日の朝、目を覚ますととてもいいお天気でした。
でもラジオは、拡大する被災地と悲惨な状況を放送し続けていました。


(続く…)



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Last updated  Mar 30, 2011 10:51:52 PM



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