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みなさま!
こんにちは∞ 30日の記事の続きをお話しいたします。 震災2日目、13日の朝になりました。この日は気仙沼で、T子さん主催の対面解読をするはずでした。お会いすることになっていた気仙沼の方々とそのご家族、関係者の方々の無事を祈りました。 昨夜、解読で明日帰れますと言われましたが、私にはどうやって帰ったらいいのかまったくわかりませんでした。 今の仙台は、ライフラインが全て止まっており、レンタカーやタクシーはおろか公共の交通手段は機能していないようです。 すると、ビジネスパートナーのN氏が突然「ジュネさん。山形に行きましょう。山形に出れば何とか帰れると思います。」と提案してきました。 「山形までどうやって行くのですか?」 「T子さんの車を借りて、山形まで行きレンタカーを借ります。T子さんの車にガソリンを入れて、2台の車で仙台に戻り、T子さんに車を返したら、レンタカーで山形に戻りましょう。」 「ということは仙台~山形を1往復半するわけね。」 私はT子さんに、車を貸してくれるかどうか頼んでみました。T子さんは心よく引き受けてくれました。 隣でこの会話を聞いていたIさんのご主人が、「それだったらジュネさん。私の車で山形まで送っていきますよ。」と言ってくれました。 私が恐縮していると奥様が「そうよ!私達も一緒に行きます。山形で食糧が買えるかもしれないし、温泉があるので、もしかしたらお風呂に入れるかもしれません。」「早く出発しましょう!」 あれよあれよという間に、山形行きが決まりました。念のために飲み物や食べ物も詰め込んで、5人で出発することになりました。 高速道路は使えないので、下の国道を走ります。30分くらい走ったでしょうか、Iさんの奥様が、「お父さん!この道じゃないわ!」と叫びました。 「あっ!間違えたね…。でもこの道からでも山形に行けるはずだから行ってみよう」 とご主人が言いました。道路は一本道で、ずっと先の信号を右折すると山形方面に行けるのだそうです。 しばらく走っていると、車が渋滞していてまったく進めなくなりました。(後でわかったのですが、ガソリンスタンドで並んでいる長蛇の車の列だったのです。一車線なので追い越すことも出来ないのです。)これではいつ山形に着くかわかりません。 迂回路でもあればね、と話していたら、少し先に右に曲がる道が見えました。それが迂回路かどうかはわかりません。 誰か道を教えてくれないかなと思っていると、対向車線の前方から、ピンクのシャツを着て自転車に乗った少年が突如現れました。 Iさんの奥様の直感であの子に聞いてみよう!ということになり、尋ねるとやはり右の道は迂回路で詳しい道順を教えてくれました。 車は渋滞の列から離れ、右の道へ入り、少年が教えてくれたとおり走ると、山形方面の大きな道に出ることができました。 これで30分は短縮できたらしく、あの少年はきっと天使だね、と話していました。 しばらく走っていると、Iさんの奥様が「ジュネさん!ここの○○ラーメンすごく美味しいんですよ!今日は閉まっていますが、今度来られたら行きましょう!ぜひ食べてほしいです。」と一軒のお店を指差しました。 車は山を抜ける有料道路へ入り、山形県に入りました。山形県に入った途端に、今まで通じにくかった携帯電話が、軒並み通話可能になりました。 途中パーキングがあったので、トイレ休憩をしました。水洗トイレで水を流すと水が流れ、手を洗うのに水道をひねると水が出ました。水ってなんてありがたいのでしょう。今まで、あたりまえだと思っていたことの有難さが身にしみ、感動して涙が出そうになりました。 山形の街はコンビニもお店も人は並んでいませんでしたが、殆どあいていませんでした。山形駅に着きましたがJRはすべてストップしていました。どこのレンタカーもすべて車は出払っていました。 山形空港から羽田行きの便も数日先まですべて満席でした。空席待ちの人が多すぎて2~3日は乗れないだろうと言われました。 ちょっと考えが甘かったかなとため息が出そうになった時、N氏が「さっき駅で、新潟行きの臨時バスが出ると聞きました。今からバスセンターに行ってみます。」と走り出しました。 しばらく経って、N氏から、バスの予約が取れそうだと連絡がありました。車をバスセンターまで移動してもらいN氏を待っていました。N氏がチケットを2枚握りしめて戻って来ました。 「補助席ですがチケット取れました。私達は最後の2席でした。あとの人達は今日のバスには乗れないそうです。燃料の関係で明日は新潟行きのバスが出るかわからないそうです。」 「ジュネさんよかったね!これで帰れますよ!」とT子さんとIさんご夫婦が喜んでくれました。 乗れなかった人達ごめんなさい。ありがとうございます!心の中で何度も感謝しました。 バスの出発は12:30で、それまでに1時間以上ありました。せっかくだからみんなでお昼を食べましょうと、車をUターンさせるために左の道へ入りました。 いきなり「○○ラーメン」の看板が目に入りました。なんとそこには、Iさんの奥様がさっき私に食べさせたいと言っていた、○○ラーメンのお店があり、営業していたのです。みんなで笑いながら美味しいラーメンを食べ、これからがんばってやっていこうと励まし合いました。 私とN氏はT子さんとIさんご夫婦にお礼を述べ握手し、車を見送りました。私は今日帰れるけれど、山形まで見送ってくださったIさんご夫婦とT子さんはちゃんと食糧が買えるかどうか気になりました。 バスの発車まで少し時間があったので、バスセンターの中に入りました。中はいろいろなお店があり、大きなマーケットも営業していました。食料品はたっぷりありそうです。おまけに2階にはかなり大きな100円ショップも営業して食料品も揃っているようでした。 私はすぐT子さんに電話をしました。T子さんとIさんの奥様はここで食料品を調達することが出来ました。 バスは満員で定刻通りに山形を出発いたしました。新潟まで国道を走るので4時間以上かかると言われました。 バスから見る景色は白一色のきれいな雪景色で、山々は銀色に光り輝いていました。でもこの山の向こうでは、地震と津波でたくさんの人々が寒さの中大変な思いをしているのです。 バスは4時間ちょっとで無事に新潟駅に到着いたしました。新潟から東京までは上越新幹線が出ています。新幹線の車中で、T子さんのご主人が無事に救出されたという連絡を受けほっとして涙が出ました。 上越新幹線で東京に着いて、東海道新幹線に乗り換え新横浜に着きました。夫と息子が迎えに来ていました。 夜8時半、確かに昨夜の解読どおり私はサロンにいました。無事に辿り着いたのです。驚いたのは、サロンの部屋の中が地震の影響をまったく受けていなかったことです。出かける時と何も変わらずそのままだったのです。 次の日から私はT子さんと連絡を取り合い、津波の時の気仙沼の様子やS病院の劇的な救助のことを聞くことができました。 (続く…) 宇宙エネルギーと潜在意識(解読...ジュネシーン)感想コーナー 「集合意識メルマガ・No Problem」のご登録 次回vol.59の発行予定日は5月2日です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 13, 2011 11:41:32 PM
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