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みなさま!
こんにちは∞ 今回で私の体験記は最終回です。 体験談そのものは前回まででした。 その後T子さんから、ご主人のS院長の救出までのお話しを聞ました。 気仙沼のS病院は3階建てで屋上があります。S院長のお父様が建てられたそうですが、鉄骨が地面の下の岩盤に届くようかなり深く掘ったそうです。そして3階の窓を防火ガラスにしました。このことが、S病院に避難した人々を守り救ったのです。 S院長は地震の直後、津波に備えて従業員全員と患者さん全員に屋上に避難するよう指示を出しました。S院長は病院前の自宅に戻り、携帯電話と2階にいるワンちゃん(プードル)を抱えてすぐ病院に戻りました。 病院の裏門から中へ入ろうとした時に、誰かがすごいスピードで自転車を漕ぎながら「海から何かが来るぞー!!」と大声で叫びながら走り去ったそうです。S院長はすぐ病院内に入り、扉を閉めて階段を上がろうとしたら、もう津波の海水が院内に入って来たのです。 後は、みなさん映像でご存知のように、街は壊滅状態になっていったのです。病院は2階まで水没しました。屋上に避難したのは全部で50数人でした。 S院長が真っ先に考えたのは、この人達全員を救助が来る数日間どうやって生き延びさせるかでした。 一番大切なのは水です。S病院は3階が休憩室とリハビリルームになっています。そして3階にはトイレがあります。S院長は、トイレのタンクの水は水道水なので、飲料に使えると思いました。そこでトイレの使用後、水を流さないようみんなに指示を出しました。 津波の水が少し引いた時、階下に飲料水の自動販売機が流されずにまだあったので、それを壊そうということになり試みたそうですが、かなり丈夫に出来ているらしくなかなか壊れなかったそうです。 やっと少し壊して、そこから手を入れて飲み物を6本だけ取り出せたそうです。その6本をみんなでまわし飲みしてしのいだそうです。 気仙沼には石油タンクがあり津波でそれが倒れ、重油が海面に流出して燃えだしたのです。その火が、津波で流された瓦礫や木や船などに次々に引火したのです。 たくさんの人々が避難している公民館には、火のついた大型船が波に乗って突進して来たそうです。 幸いにも火は公民館に引火しなかったので中の人達は助かったのです。 火のついた瓦礫や木や船が波に乗って何度も何度も、S病院にぶつかって来ました。すぐ近くまで、石油タンクとタンカーが津波で押し寄せていたそうです。これらが激突していたら、たぶんS病院は崩壊していたでしょう。 S病院の近くにはバスセンターがあり、そこの燃料庫も爆発が起き、さらに火の勢いは増したのです。S病院の外来駐車場に止めてあった2台の車が、津波と共にS病院の玄関に突っ込んで来て、そのうちの一台は爆発したそうです。 S病院の屋上に避難した人々は、外は津波と火の海、階下は車が爆発炎上の中、3階の部屋で防火ガラスの窓に守られて危機一髪の状態で一夜を過ごしたのです。 S院長が連れて来たペットのワンちゃんがいたおかげで、みなさん癒されたそうです。犬嫌いの婦長が横になっている時、ワンちゃんがペロッと婦長の顔を舐めたそうです。キャ~!と婦長が悲鳴をあげ、それを見てみんなに笑いが起こり、なごやかな空気になったそうです。 翌日(12日)、自衛隊のヘリが来て、乳幼児とお年寄りをロープでつり上げ救助しました。自衛隊も他の地域の救助もあり、てんてこ舞いだったらしく、病院の従業員や健康な大人達にはもう1日頑張ってくれと、ある量の水を屋上に落として去っていったそうです。 次の日(13日)になり、海水が引いてヘドロ状態になりました。残っている大人たちは自衛隊が張ったロープにつかまり、膝の高さくらいのヘドロに浸かりながら歩いて別の場所まで避難しました。 S院長は、そのまま、殆ど不眠不休で汚れた白衣のまま、何日も避難所でボランティアの医療活動を続けました。あまりの疲労困憊でボロボロになっているS院長を見かねた先輩の先生が、自宅にS院長を連れて帰り、お風呂や洋服を提供して、その後やっとT子さんと娘さんに再会出来たのです。T子さんはご主人から「生きていてくれてありがとう」と言われたそうです。 今、T子さんは気仙沼に帰っています。街はまだ重油の臭いがたちこめているようです。知り合いの方々に再会すると、みんな手をとり抱き合って「生きていてよかったね」と喜び合っているそうです。 「家も何もかも失ったけど、生き残ったのですから私たちは、前をむいて生きていて行きます。」「命」に向き合った人々の意識の奥には、どんなことにも立ち向かう強さが秘められています。 私達は地球上に住んでいる限り、天変地異は避けられません。 人類はさまざまな技術を発明し、発展させてきました。でもどの方向に向かっていたのでしょうか。ハートは愛は十分ともなっていたのでしょうか。 2011年3月11日…この日起きた「東日本大震災」は日本にいる私達の運命、日本の運命、いえ世界中の人々の運命を変える力が働きました。 津波の怖さは、頭のどこかではわかっていましたが、映画の中の出来事ようにしか感じていなかったと思います。原子力発電についても、みんな頭のどこかで危険と感じていました。ひとりひとりがもっと関心を示し、しっかり監視の目を向けていればと私達は痛感しています。 放射能汚染という人災をこれ以上広げないよう、私達は心の底から真剣に願い祈りましょう。恐怖心で祈るのではなく、きれいな空気、鳥が飛び、蝶々が舞い、きれいな木々草花、澄んだ水が流れる川、おだやかなできれいな海、緑の山々、一番美しいと思う地球の姿をしっかりイメージして下さい。 宇宙エネルギーからのこんなメッセージが来ました。 これからの覚悟はできていますか。 ひとりひとりしっかり覚悟してください。 死ぬ覚悟? いいえ違います。 今の人生を「生きる」という覚悟です。 自分を信じて「生きる」覚悟です。 地球で「生きる」覚悟です。 最後まで「生きる」覚悟です。 みなさんの潜在意識は大いなる力と繋がっています。 真骨頂を発揮して下さい。 (覚悟…仏教用語では、迷いを去り道理を悟ることです。その他には、知ること、記憶すること、心がまえ、などと書いてあります。私は決心、決意に近い意味だと解釈しました。) 宇宙エネルギーと潜在意識(解読...ジュネシーン)感想コーナー 「集合意識メルマガ・No Problem」のご登録 次回vol.59の発行予定日は5月2日です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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Apr 19, 2011 09:39:02 PM
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