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September 12, 2008
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カテゴリ:思うこと
最近「差別」というものについて考えます。

常識に生きている私たちは「差別」はいけないことだという意識があるので 極力それを避けようとします。

差別を感じさせまいと気を使うあまりに 逆に差別を感じさせてしまうこともあります。

辞書を引くと「差別」とは 

1・或る基準に基づいて差をつけて区別すること 扱いに違いをつけること またその違い
2・偏見や先入観をもとに特定の人々に対して不利益、不平等な扱いをすること

そもそも差別とは これが普通だという基準を置いた側の視点にすぎないわけですが マジョリティーとマイノリティーの間の差ということになります。

自分がどちら側に属しているか 常にマジョリティー側に属していれば安心ともいえますが でもそれでは個性というものはなくなってしまう。。。

私たちは生まれおちてのち マジョリティーに入るべく教育され、それに反発を感じた場合あえてマイノリティー側に属そうとすることもあります。

ま、私なんかもそうだったんだとこの歳になると思いますが。。。(^_^;)

差別観というのは 片方だけがもっているものではなく 両方が持っていると思います。

「差別されている」と感じるとき 私たちは「多勢に無勢」という感覚を持つ。

マイノリティーの孤独感

日本という国は アメリカのように人種のるつぼではないので 髪の色や目の色、肌の色など外見もものすごく似ているので いろいろなことが「同じである」ということにかなりこだわる国民なのかもしれません。

「皆と同じだ ああよかった」と思えると安心して幸福を感じる国民なのかもしれません。

いえ それが悪いというのではありません。

それが特徴なのだと思えばよいと思います。

何に対して幸福感を感じるか それは育ってきた環境によっても大いに違うし その違いをお互いに尊重し合えばよいのです。

と グローバルな部分とか 自分と遠いところの問題を語る場合には わかったようなことがいえます。

でも 日常生活で無意識にしている「差別」は難しい。。。

まず第一に本人がそれを「差別」と思っていない。。。

そういうものだと思い込んでいるだけ。

あまりに当たり前のことなので疑問にも思わない。。。

年配の男性が 女性の人が多い会合の中で「女なんかがこう言った」という発言をして顰蹙を買うことがあるが 彼らには 女というものは自分よりも劣った存在という偏見が染みついているのだと思う。

無意識にそういう言葉を使ってしまうことの恐ろしさ

無意識の中にある自分では気づいていない思い込み

それは時代を超えて その人の生まれおちた土地や家庭にしみついた偏見

偏見を持ちたいと思っている人はいないと思うが すでに持ってしまっている偏見に対して私たちは何かできないだろうか?

できる!

発見するだけで良い。

意識に上がればそれは変えていけるのだから。。。






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Last updated  September 12, 2008 10:24:20 PM
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