行ってきました
行ってきました。予想以上に空いてました。お土産コーナーも・・・・・いくつか間違い?がありました。窓枠の左側、人の顔?いいえカーテンの印影でした。壁の絵、キューピットが持っていたのは、蛇ではなく弓でした。踏んでいたのは仮面(裏返し)でした。ただ、やはり壁の光は・・・・実は、フェルメールの絵はこれ1枚だけ。1620年~1680年ぐらいのオランダの絵画展。1640年ごろのレンブラントの絵画1点。他はあまり有名ではないかな?オランダは1600年代ネーデルランド共和国としてスペインから独立。東インド会社を設立しポルトガルのアジアにおける富を奪う。そして、世界の覇権をかけてイギリスと戦争をする。オランダの17世紀はそんな時代。アジアから流れ込む貿易品は、貴族だけではなく商人などにも莫大な富をもたらした。富裕層が発達し、写真が無いために肖像画が流行する。また、室内に絵画を飾ると言う贅沢を享受する。静物画はそんな中で生まれた。17世紀のオランダにおいて、油絵具は浸透している。ただ、当初は板に書いたもので、1640年ごろからキャンバスが使われだしたようだ。また、1620年頃までの絵画は絵の具のせいか、陰影が薄くセピア色に感じる。それに比べると、1640年あたりから陰影が濃くなる。バックを暗くして主題を明るく浮き上がらせる。そういった技法が使われている。また、油絵の技法としては写実主義的な技法は極められていると言っていいだろう。そして、構図。今回の展示では、しっかりと構図が組んである作品ばかりで、まるで構図の教科書が並んでいるようだった。17世紀のオランダ絵画界においてレンブラントは巨星だったのは間違いないと思う。今回の絵画展ではレンブラントの弟子の作品が多かった。そして、レンブラントの挑戦も垣間見れた。写真代わりの肖像画、顔に影はいれない。帽子はアミダにかぶり顔がはっきり見えなければ、意味が無い。そんな中、レンブラントは恋人に深めに帽子をかぶせ、顔半分を影で暗くした。それにより、心象的な部分が発生する。レンブラントの弟子とされるドロストは、光源を高くして目の位置に眉の影が来るようにして、より挑戦的な絵画を残している。光が当たって明るいはずの顔に、彫りが深いために目の周囲が暗い。その為に、モデルの女性は物憂げに見える。肖像画から人物画への進歩が進みだしている。日本で江戸時代が始まり、庶民が栄え元禄文化が花開いたように、オランダでは絵画が庶民の手の届くものになっていった。そんなことを教えてくれる展覧会でした。