太宰陸橋
正式名称は、「三鷹跨線人道橋」といいます。太宰陸橋と呼ばれているのは、太宰治が三鷹に住んでいた時、好んで散歩に行っていたからです。検索すると、当時の写真が出てきます。建造されたのは、昭和4年。三鷹駅西側に電車庫を作ったので、踏切では渡ることができなくなり、人の往来ができるように作られました。老朽化と、現在の耐震基準を満たしていないことから、撤去されることになりました。ちなみに、撤去が完了するのは2年後。JR中央線は、電車が走っていない時間が深夜3時間(1:30~4:30)しかないので、ちょっとづつしか工事できないのです。みるからに、ボロボロです。建設当時から、すでに使用済みレールを使っています。日中は昼寝している電車たち。この風景が見られるのも、あとわずかです。電車を真上から撮るので、どうしても架線が邪魔になります。電車好きの子供たち(だけではないが)にとって、絶景ポイントです。気の利いた運転手は、子供の姿を見つけると、サービスで警笛を鳴らしてくれます。こちらは、動画。ところで、このバス停の名前はどうなるのでしょう?「跨線橋跡」になるのでしょうかね。