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カテゴリ:独り言
ふと食卓で何気なく日本の新聞を読んでいた。
ま、その新聞には新たに紐とかれた織田、豊臣(羽柴)の歴史の事実の話題があったわけだが、こと羽柴は農民出身の身にて農民に対しての政には慈愛をもって接していたと思う。 信長も、いろいろとその気性の激しさ故にいろいろな逸話があるものの、民、百姓に対してぞんざいな策をとったような感じを受けない。むしろこと文化や政策にはもっと自由な印象さえうける。 この一国の長でもある歴代の将軍が万人を思う気持ちは「士農工商」を見ても分かる通り、まず国民を大事に思う気持ちが大きい。この考え方は西洋の文化にはなかなかないだろうし、中国にも有り得ない。大きな大陸ではその国土を争って「奪い取る」という考えがあったが為に、いつもそれに泣かされるのは弱い立場の人間だった。多くの軍を引き連れて遠征していたが故にまかない切れない報酬は、この征服の際、兵個人が行う民の資産の略奪、強姦は暗黙の了解とされていたくらい軍兵の統率、特に倫理に関しては統制しきれなかったと聞く。 そんないつ財産が奪われるかもわからない状況の中、明日は我が身となりかねないであろうと人々の猜疑心も自然と強くなるだろうし、自分の身を自分で守らなければという危機感も手伝って個として独立する精神は当然の如く培われると歴史が証明しているように思う。 日本でも武将が国土を奪い合うという時代はあったものの、米を刈り入れる時期を敢えて外したりしていた。民があっての国力と自覚していたが故だろう。 そしてこの戦国の武将の中には上杉謙信のような合戦の最中、敵(武田信玄)が飢え苦しむ状況に敢えて塩を送ったという敵にまで情けをかけてしまうという考え方もあったのだ。 とてもじゃないが、奪い合いの西洋にはこんな考え方は有り得るはずがない。言ってみればクレイジーと言うだけだろう。 それほど日本人は昔から優しい民族に思う。歴史を読めば読むほど、たまにバ○がついてしまうくらいのやさしい民族がどうして侵略なぞ考えるのかとたまに不思議に思う。 そして案の定最近はことごとく歴史の事実が徐々に発覚し、今まで散々戦争責任だ何だといわれ続けていた事がひっくり返って来ている。悲しいかな、それが日本だけでなく他の国の人間によって解明されたりもしている。 裁判というものを開いて戦争責任を受けた。これは当時国際法唯一の権威でもあったパル判事によれば日本はあまりに一方的に責任を取らされた形になったと意義ありの状況だったらしい。 刑罰が下り、それを受けることで戦犯を償うという「裁判」というシステム自体を日本は異議なく従ったわけだが、このシステムを未だに無視した意見が飛び交う。裁判というものは公平を基として判断を下し、非があらば罪状を問いただして処罰を与え、公正させるという社会のシステムではなかっただろうか。死刑を与えられた人間は命を絶ってその罪を償い、社会に対して公平を期すということなわけだが、死んだ人間が未だに悪いなんていっているのは、どう考えたって裁判自体を分かっていない発言で、これでは公平に話などできるはずがない。 しかもその裁判自体が歴史的事実によって正等でなかったと分かれば、なぜ意味もなく謝罪し、意味もなく自分の国を責めるのか。これは優しい性格だからではない、無知だからだ。 そして無知ということは時として最悪な状況を招き、判断を誤らせ、国をも滅ぼす勢いだ。 先刻他界した元首相はそんなことを調べようともせず、わざわざ他国にいってぺこぺこ謝り続けた。歴史を一番知りやすいポジションにいながらにして結果的には無視し、潔いと思ったが知らないが一時の感情で偽りを自らのポジションの重さをわきまえず如いてはそれが「国が認めた」となりかねなくなってしまうのに。それは返って未来の、何の罪もない子孫達へ公平というシステムをしらない人間達を相手にありもしない非を認め、負い目を背負うような「苦しみ」を与えるということが分かっていない。それが愛だろうか。優しくても筋の通らないことをするのが果たして侍のやることだろうか。 だから私は歴史をもっと知りたい。事実を事実として知るのは当然だ。 なんせ戦後に敵を貶めるには敵の内部から腐らせるのが一番というある国の政策が強く根付いてしまったがために日本は最悪な状態になってしまった。命を落としてまで日本を守った人が見たら天国で憂いでいるに違いない。 と、私は思ったわけなんだな。 ブログでは決してこんな話をするつもりではなかったけど、書いてしまった。 もともとここは自分の日記で自分が思ったことを書けばいいわけだしね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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