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カテゴリ:年を取って気づいた
昔はほどほどの年になったら死ねると漫然とおもっていた。
それがここ20年ほど、自分はもしかしていつまでも長生きしてしまうんじゃないかと心配になってきている。 世の中は長生きは良いこととして、敬老の日に100歳を超えたお年寄りを表彰している記事を地元新聞で目にする。 しかし、ほとんどの場合、彼らは自分ひとりでは生活できていない。 家族、または施設の人の手を借りて初めて生活しているのだ。 ご本人というよりお世話している方をもっと労わってあげたらと思う。 とくに同居家族の場合、その苦労はいかばかりかとおもう。 みている家族が高齢なのだから。 先日は病院の玄関で90歳位のお婆さんが車椅子で出ていくところをみた。 その車椅子を押している人も何と頭の中心が白髪で真っ白になった腰の曲がった疲れた顔の老女で見ていて辛かった。 お悔やみ欄で100歳以上の年齢の方を良く見るようになった。 私は家族のかた、ご苦労様ですといいたい。 喪主が孫だったりする。 自分の親が先に亡くなって、祖母、祖父の世話というのは理不尽だと思う。 せめてほどほどの年で。 病気で早世もいいかも。長患いしなければ、家族に迷惑をかけないようにできればと思う。 世の中いろいろ便利になって、こんなところにひずみが出てきているんだ。 私は嫌われ、疎まれてまでこの世には執着したくない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.01.10 15:51:54
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