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カテゴリ:ふんどし
目覚ましは9:00セット。
奇跡的に10:30起床。 10:40朝食。 小学校の時はよく鼻くそを常食としている人がいたけど、 大人になってもまだそれを喰らい続ける人は、噂には聞いたことはあるが、実際に見たことはない。 注意してくれる存在は、ある程度までは必要な気がするのです。 自分のしていることを見て周りの人がどう思うかを知ってて、それでも尚、自我を通すのか、 知らないままに通ってしまっているのかは、こりゃ全然違う。 だから、助言というのは大変ありがたいものだと感じる。 例え相手がそれを嫌味として言っていても、客観的にみればその嫌味もまた自分にとっては助言となることもある。 感情的にならずに、それを事実として受け止めるのが、一番の成長方法だと思う。 もちろん、自分の進むべき方向を決めておくことは必要である。どこに行きたいのかは自分が決める。 出も、見知らぬ場所では、ストレンジャーが迷ってうろうろするよりも、 その土地に住んでいて詳しい人に道を聞くのが手っ取り早く目的地に着く。 その情報を便りにするかどうかは自分次第ではあるが。 頑固者というのはここで、人の意見を聞かず自分の情報のみをたよりとするから、 目的地と全然違ったとんでもない方向に行ってしまう事がある。 しかしそれも何か興いと思うのです。 頑固という言葉にいい印象を持っている人は余りいないかもしれないが、 頑固者は頑固な分だけ、オリジナルな存在であるということ。 ただ、オリジナルであるということが良いわけではなく、 稀に、その揺るぎない、頑固な、オリジナルの味が良く出てる場合もあるのです。 他人に迷惑をかけるような人の中にはきっと、 人に迷惑をかけている事を知っていてそれでも他人の注意に耳もくれずな頑固者がいるでしょう。 だから、オリジナル、つまり世界に一つだけの存在どうたらそれ自体がいい訳ではない。 世界に一つだけの形をした、ただの小石には誰も振り向きません。 ましてやそれが邪魔なものなら嫌われます。 問題は、その小石が世界に一つだけの存在という事ではなく、 それ自身に魅力があるのかどうかということだと思います。 だから、「私は世界に一つだけの存在だからこのままでいいんだ」と、なるのはちょっと如何なものかと。 それでいいなら本人の自由として一向に構わないけど、 それはずっと、「ただの」世界に一つだけの小石であって、 それを見る人が皆これを欲する、または憧れるような存在ではないという事。 もし、誰かに自分の良さを知って欲しければ、必ず自分を磨く作業は必要だと、そう思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年11月05日 17時50分25秒
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