|
カテゴリ:ツマラン
さて12月。来月は来年。
今日は腹が痛くて10時前に起きた。 久々の9時台の世界を見たが、10時となんら変わりなかった。 だからたぶん5時でも7時でも変わらないんだろう。 でも人間の方は一年も経つと結構変わるもんだな、と自分のことを考えた。 何が変わったっていうわけでないが、それを言わなくてもいいくらい変わった。 良くも悪くも 本人にとっての何か大きなミスを犯してしまった時、 自殺をしてしまう人がいるけども、それはかなり損してしまっていると思う。 本人は人生のリセット的な感覚でそういう行動にでるのかもしれないが、 大体の場合は本人が死んだところでそのミスが起こった事実と損害は消えることはない。 TVゲームなんかでいうリセットとはわけが違う。 現実ではそのミスを補正する方法が、ゲームよりはるかに多く存在する。 死を以て罪を償うんではなく、全てできなくても生の状態で何かしら償った方が残される人達にとっても、何より本人にとっても益になる。 そうやって試行錯誤して生きていくから成長という言葉があるわけで。 死んだからはい終わり、という考えは余りにも浅いのではないか。 何十年も生きてきたのにそこでわざわざ自らリセットボタンを押すのは非常にもったいない。 だからたまに事件なんかが起こると被害者側が死刑にしろ、なんて言うけど、 死ぬ瞬間だけ終わってしまえば、加害者側は罪の意識を感じないまま生を終えることにも成り得るんだから、 被害者側の気持ちが僅かながら収まったとしても、これじゃあ刑の意味がないんじゃないか。 最も恐ろしいのは、死ではなく、事実に面と向かうこと。 だから無期懲役でもなんでも、一生その罪を背負って生きていく方がたぶん辛い。 背負っていることに気付いてないのにはそれ相応のことをしないといけない、 再犯なんてことが起こらないくらい刑が恐ろしいものにならないとわからないんでしょう。 死刑はなんだか今の時代にしてみれば余りにも原始的思考によるものではないかと思います。 切腹の時代からは想像も出来ないほど世の中は広くなったので、 周りの目が気になるなら悪い言い方だが、逃げ道もたくさんある。 ただ、逃げてばかりいるのではなく、改善するのに人生の意義があると思う。 全能、完璧、それ自体が良いわけではないんではないかと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|