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映画『シド・アンド・ナンシー』を紹介したので実際の二人のいきさつを載せます
1977年、ジョニー・ロットンの学生時代からの親友であるシド・ウ゛ィシャス(本名:ジョン・サイ モン・リッチー)はジョニーの誘いでベーシストとしてピストルズに加入した。加入当時のシドは 全くベースが弾けなかったが、ルックスや雰囲気が良かったのでジョニーは加入をさせたよう だ。その直後、シドはナンシー・スパンゲンに出会った。意外に気弱なシドと勝ち気で行動的な ナンシーは相性が合い恋に落ちる。恋に落ちるだけなら良かったのだがナンシーはもともと、 ニューヨークパンクの取り巻きだった事もありロンドンパンクシーンにヘロインまで持ち込んで しまった。必然的にシドもヘロインをやりだしてしまう。ジョニーは「ナンシーが現れてからシドは 別人のようになってしまった」と言っている。いつも自虐的で常に自分の体を傷つけていたシド の行動と奇抜なファッションはパンクのイメージを完璧に表現していて、これがシドのパンクの シンボルと言われる由縁でもある。ピストルズはアメリカツアー中にジョニーの脱退により解散 したが、シドとナンシーは離れる事はなかった。そしてますますドラッグにはまっていき、そんな 中で事件が起きてしまう・・・・・・・・。(あのチェルシーホテル殺人事件だ) 1978年10月12日シドは目覚めるとナンシー・スパンゲンがホテルのバスルームで倒れてい るのを見つけた。死因は刺傷によるもの。彼は薬でどこで何をしていたか覚えていなかった が、警察は真っ先にシドを逮捕した、実際のところシドが本当に殺したかどうかはわかってい ない・・・・・。シド・ヴィシャスは発見当時、血だらけで座り込んでいた。 シドはナンシーの死に耐え切れず「俺も殺してくれ」と刑事に頼んだらしい。とりあえずレコード 会社が保釈金を出して出所したが、カミソリで体中を刻んで自殺を図ってしまう。結局は未遂 で終わったがナンシーへの純粋な思いがこの行動をとらせたんだと思われる。 そして、1979年2月2日夜、薬の過剰摂取により死亡。享年21才。 シドは、手書きの遺書を残していた。 「ぼくらはいっしょに死ぬ約束をした。その約束を果たさなければ。彼女といっしょに埋めてほし い。革ジャンにジーンズ、モーターサイクル・ブーツをはかせて。さよなら。」と・・・。 だが、ナンシーの家族は、その望みには応じず、お墓の場所も教えなかった。しかし、シドの 母はひそかに探り出し、シドの遺骨と灰をたずさえて、フィラデルフィアのお墓を訪れた。 そして、それをナンシーのお墓へ振りかけたのだった。
※写真は実際のシドとナンシー、一番下の写真はナンシーの遺体をチェルシーホテル から運び出しているときの写真。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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