アルプスと旅の魅力&老年留学の奨め・続
昨夜「お茶の間ゼミナール」で聞いてきた内容を少し紹介したいと思います。 「白く高き山々へ」の著者、村中征也氏は1939年生まれの77才ですが、とてもそんなお年には見えない溌剌とした方でした。1958年から登山を始め、20代は夢中になった登山ですが、仕事で忙しく、本格的に開始したのは50歳になってから。「今からでも遅くない」を実感し、それが人生の転換期になりました。登山の方向やあり方に悩んでいた26歳の時に読んだE.ウィンバーの「アルプス登攀記」が刺激になったようです。以後毎夏アルプスへ出かけることになりました。1人で出かけ、スイス人ガイドさんと2008年まで7回の訪問で30数山に登り、4,000m峰22座を23登できたとか。(ちなみにアルプスの4,000m峰は60座少し)講話の最後に見せてもらった登山道具またロープの滑落しない結び方も実演されました。 まあ、私はこの先も登山をする予定はないのですが、中高年の登山をする人に向けて1人では絶対に登らないこと、稜線は気を付けること。4点を固定するとか色々とアドバイスされてました。前列の90歳のおじいちゃんがとても刺激を受けたと感激して話されました。 マッターホルンに登るという夢の実現に向けては毎夜犬と4キロのランニングを課して「岩登り、体力の維持、ドイツ語の習得」を実行されました。そして2000年8月から2001年3月までドイツのミュンヘンに留学し、世界各国から集まってくる若者たちと語学学校でドイツ語を勉強されました。ちょうど20世紀から21世紀に向かう時が人生最大の節目の還暦で、50代で心に暖め準備してきた計画を実行に移されました。語学学校の若者達には肩書や昔の権威など一切通用せず裸の付き合いで、人間としての魅力がないと通用しないことを痛感されたそうです。 スイスは鉄道網が発達しているので、スケッチブックを片手に列車旅を楽しまれたようです。街のたたずまい、商店、レストラン、カフェ、教会などヨーロッパならではの風物、風景が素敵だったそうです。ここで村中氏の小学校以来のスケッチを少し紹介します。スイスでお世話になった人達とは家族ぐるみの付き合いで、ガイドさんの両親や姉の家族の他にも、たくさんの知り合いができ人々は働き者で質素、日本人に相通じるものがあり、スイスはまさに第二の故郷になったそうです。ちなみにスイス連邦はドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語と住む地域によって言語がありますが、4分の3の地域がドイツ語圏だそうです。資料6枚、7ページの概要は以上のようでした。途中コーヒー(紅茶)タイムが15分ありました。オシマイ