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カテゴリ:旅行記
2022年12月31日の事です。 前夜中華街での食事が全くすすまなかった相方は 朝一番で薬局に行きたいと言い出しました。 横浜公園の中を横切ると英国人土木技師のブラントンの銅像と 明治元年に来日し、日本沿岸各地に燈台を建設する一方、 8年間滞在した横浜で近代的な街づくりに 大きな功績を遺したことが説明されていました。 そしてこちらでは 1945年終戦後、米軍専用の野球場、ゲーリック球場が 1952年に接収が解除され、平和球場と改称され、 1978年には横浜大洋ホエールズ(当時)のホームスタジオとなり、 現在の横浜スタジアムが完成した経緯が説明されてました。 横浜スタジアムの横を通りながら 横浜スタジアム駅前を通過。 ところが、ホテルの近くの薬局は年末年始の休みに入り、 歩いても歩いてもどの店もシャッターが下りていました。 その近くで教えてもらった薬局の開店時間まで待っても やはりどこも閉まったままで途方にくれました。 こんな自販機もありました。 そして歩き疲れた頃に伊勢佐木町にやってきました。 するとどうでしょう。 伊勢佐木町は全体的にとても活気があって、 年末年始に関係なく薬局も営業していました。 やっと相方の鎮痛剤と私の湿布と塗り薬など お目当ての薬を買う事ができました。 そこで喫茶店を見つけて休憩し、糖分を補給。 商店街のプロムナードのタイルが 横浜らしかったので写してきました。 こちらも帰りに、珍しいので写してきました。 誰も目を止める事もなく、 私は関内、関外と言う呼び方に興味があり、 昔ここに関門を設け、 武士や町人の出入りを取り締まったことから そういう呼び方をするのだとわかり納得。 少々古びた看板を写してきました。 途端に元気になって、この後 馬車道を通って、また赤レンガ倉庫方面まで かなりの距離を歩いたのでした。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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