|
カテゴリ:趣味
昨日紹介した太田宿中仙道会館企画展で 展示されていた「江戸の千両箱」の続きです。 多目的ルームで「セッコクと山野草展」を観た後、 こちらのホールへ移動しました。 京都・太秦の映画村ではないですよ。 ここでも江戸時代が再現されています。 そしてこの千両箱を持ち上げましたが、 とても重くて持ち上げられても移動はできませんでした。 そしてここで登場するのが鼠小僧次郎吉です。 ※鼠小僧は江戸後期(寛政九年~天保三年)大名屋敷を専門に 荒らした窃盗犯で、本職は鳶職であったと言われ、 義賊の伝承で知られています。 博奕で身を崩し、盗人家業に手を染め、 武家屋敷に忍ぶこと九十九か所百二十回に及んだけれど、 天保三年上野国小幡藩屋敷に入った所を捕まり、 市中引き回しの後、処刑されました。 鼠小僧は「貧しい者に盗んだ金品を分け与える義賊」との 伝説がありますが、研究家の調べによると そのような史実はなく、慎ましやかな生活態度から そのような説が流れたのかもしれないとのことです。 (※の部分は資料から拝借しました) そして中山道各務野には鼠小僧の碑があるそうです。 (こちらは木曽川学歴史ガイドブックより拝借) ※ 昔々、中山道の各務野(鵜沼宿と加納宿間)は 見渡す限り草原で寂しい場所でした。 あるとき、旅の若い娘が各務野で日没で困っていると 一軒の明かりが。娘はその家に泊めてもらいますが、 実はそこは旅人から金品を奪う悪人の家で、 たまたま六十六部の修行者が泊まっていて悪人を懲らしめたので 娘は無事に旅が続けられました。 六十六部とは日本全国六十六か国を巡礼する法華経を広める 宗教者で江戸時代が最も盛んでした。 娘を助けた六十六部は実は義賊の鼠小僧次郎吉の仮の姿で、 江戸で処刑されたという話が各務原に伝わると、 鼠小僧次郎吉の各務原での行いを後世に伝えるために 石碑が建てられたそうです。 石碑は岐大跡地の市民公園の高山線と名鉄線の間にある 神明神社の中にあります。 他にも江戸時代の貨幣や質量の単位としての両、 通貨単位としての両などの説明がありましたが、省きます。 現在通貨の単位に慣れている者には難しすぎました。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[趣味] カテゴリの最新記事
|