|
テーマ:アニメあれこれ(27165)
カテゴリ:漫画アニメ評論
別れは新しい出会いの始まりだ。レジェンズ全話を通してみて、改めてそう思った。めぐりくる季節のように、冬のあとに春がくるように、それは自然の理なのだ。
この「レジェンズ・甦る竜王伝説」という作品は、全編通じてギャグが織り込まれ、笑いをさそう。それでいながら、扱っているテーマは深い。 「歴史は螺旋を描きながらくりかえし、文明の黄昏時にレジェンズ・ウォー(文明を滅ぼすための戦い)は必ず起こる」。これが物語の根底をなす歴史観だ。その戦いを起こさないために、歴史の輪廻に抗う子供たちが描かれる。この設定自体はよくある話だが、主人公の少年には悲壮感がまるでない。「レジェンズ倶楽部」の歌を作り、揃いのネッカチーフを配り、仲間のレジェンズには「委員」を割り振る。 話の舞台はニューヨークに設定されていて、毎回英会話のワンポイントレッスンがあるなど、従来のアニメにはないテイストで、新鮮だった。 だが、そんなことは視聴者の「子供」の知ったことではない。彼らにとって、全ての出来事は新鮮なのだ。それは、体験でも、疑似体験としての読書・テレビ番組でも同じことだ。たかがアニメ。されど、侮ることはできない。アニメは子供の情操に働きかける力が大きい。それは、視聴した後の子供たちの反応でわかる。 「レジェンズ、もう一回やらないかな、再放送じゃなくて!」 彼らは、レジェンズの新しい物語を欲した。そして、待ちきれず、自分の創作の「レジェンズ」を語り始めた。自分の「レジェンズ」の中では、主役は自分自身である。そうやって、子供は物語を体の中に取り入れ、自分のものにする。 これこそが、全ての創作が持つ「再生する力」なのだ。 名作と呼ばれるものは、必ずこの力を持っている。例えば「西遊記」。西遊記を下敷きにした物語のなんと多いことか。中島敦の短編小説は言うに及ばず、アニメでも手塚治虫の「悟空の大冒険」から、「最遊記」に至るまで、あらゆるバリエーションで繰り返し語られる。逆に、そういう力を持つものこそが、名作だと言えるだろう。 子供たちに、絵本で情操教育をするのはいいことだとされている。では、アニメは?そういう対象にはなり得ないのか?私はそうは思わない。 「レジェンズ」の結末で、土は土に、水は水に、火は火に、風は風に、そして子供は子供に還る。子供の中に眠っている、物語を作りかえ、語り始める力に、このアニメーションは強く働きかけるのだ。 人気blogランキングに登録しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[漫画アニメ評論] カテゴリの最新記事
|
|