11/14(金)にnhk BSプレミアムシネマで放送されていた「戦火の馬/War Horse」、
今はこの映画と向き合う元気などありませんって思いつつ家人に言えなくて、
ところどころ見てしまいました。
そういうわけで(?)10/7に訪れた十勝の本別町にある
本別町歴史民俗資料館「軍馬の嘶(いなな)き/戦没軍馬遺産」・軍馬鎮魂碑。
十勝には 遠い日の馬を思いやる やさしいひとがいるのでしょう
たわわに手向けたとりどりの花 飲めや唄えの供物たち
広々わたる十勝の風や カラコロ木の実にエゾリスの気配
どうかさびしくありませんよう
かつての旧陸軍省軍馬補充部十勝支部 その木造建築の窓
透明な骸(むくろ)と見過ごされることもおありでしょうが
日ごと季節ごと姿を変える万象や
跡地に建つ北海道立農業大学校へ通う若者たちの成長を映し
どうかさびしくありませんよう
本別町を訪れた理由は、
3年ほど前に大連満鉄旧跡陳列館で偶然見つけて購入してきた馬鈴を
全国的にも珍しい軍馬遺産資料なども展示する本別町歴史民俗資料館に託すため。
(大連で馬鈴に出会ったときのブログはこちら)
私が持っていても年月とともに霧散したり捨てられたりするかもしれないし。
素朴な音で鳴るんです、どうぞよろしく、預かってやってください。
本別町歴史民俗資料館「軍馬の嘶き/戦没軍馬遺産コーナー」の一部。
(わざわざ迎えてくださった館長の田野さんに了解を得て撮影)
かつての戦場で収集された遺品なども展示されています。
あの「キレイマメ」シリーズなど「豆のまち」としても知られる本別町は、
全て十勝産大豆で作られた納豆たちがなまら美味いやまぐち醗酵食品、
醤油・味噌・こうじ・漬物・味噌漬カーマンベールなどの渋谷醸造株式会社、
安政2年京都発祥の甘納豆でおなじみ岡女堂などなどお楽しみがいっぱい。
酪農も盛んなことから明治乳業本別工場もあり、
偶然ですが蘇州で働く息子の知人も以前この工場で働いていたそうです。
今その方は中国で安全なヨーグルトを作り普及させようと頑張っているんですって。
おや、食べ物の話ばかり(笑
そうだった、先日新さっぽろサンピアザを通りかかったとき、
何やら興味深いものが並んでいそうな気配に立ち寄ってみたのは、
11/5~11/7まであつべつ区民協議会主催で開催されていた
「第5回厚別歴史写真パネル展」。
昭和13年に厚別西の山口家で大切に育てられた馬が軍用馬として出征した時の写真。
賢く丈夫そうなこの馬も遠い戦地から戻ってくることなく、
大好きなお父さんや坊やと二度と会えないまま命を落としたのでしょう。
(許可を得てiPhoneで撮影)
こんな美しい農耕馬の写真もありました。
向こうに北海道百年記念塔が見えるので昭和45年以降の写真だと思われます。
他にも面白い企画や風景などいろいろ展示されていたのに、馬に釘付け(笑
忘れない、北海道全体、いや日本全体が馬に助けられて生活していただけでなく、
戦禍の時など馬の犠牲の上に成り立っていた時代が確かにあったこと。
本別町美里別の軍馬鎮魂碑。
草むらの中から聞こえるカサコソ
こんなにたくさんどんぐり食べたのだぁれだ
水の流れる音がどこからか聞こえる静かな場所でした。
「鎮魂」と刻まれた碑にはお盆でもお彼岸でもないフツーの10/7だったのに、
人里離れた場所なのに、
豪奢な花々やお酒や京極の名水や・・・ ありがたいことです。
あと鮭トバかカンカイあったら、ここで宴会できるんでないかい?
(りんごは私から。帯広で高速降りて調達しましたっ)
「オイオイまだ帰らないのかよ、参ったなぁ」というように頭をかく息子のシルエットが
偶然映り込んでいた碑文の御影。
この碑が建立された経緯は こちら や こちら上・下 や こちら
「願わくば ・・・ 墓碑のもとに集わんことを」
大連で見つけた君の鈴、遅くなったけどこっちに届けておいたよ。
酪農王国十勝らしく軍馬鎮魂碑と並んで牛の慰霊碑も。
手向けるためでしょうか、隣接する土地でいろんなお花が育てられていました。
秋ならば 例えばホオズキ
イヌサフランにクジャクチョウ
花粉に突っ伏す蜂のお尻 おやおや小さくアリの姿も
だからきっと さびしくないよね
本別町西仙美里の旧陸軍省軍馬補充部十勝支部があった場所に建つ
北海道立農業大学校。
その敷地内にはまだ軍馬補充部時代の建物が残っていました。
(バロン西もこちらに住んでいた時期があったそうです)
大事に修繕され集会所として使われているらしい建物も。
軍服姿で大きな馬に跨る写真の記憶や母らが語る断片をつなぐと
私の祖父(大田良市)はここから軍馬付きの獣医として
家族とともに旧満州のハルピンへ赴任したと思われ、
これらの木造家屋を使ったりこの辺りを歩いたりしていたのかもしれません。
あゝ いちめんの赤い実
あなたがいた秋にも ありやなしや