カテゴリ:映画
久しぶりに映画を観た。
「キャデラック・レコード」 ビヨンセが映画制作に関わり出資もしているそうだ・・・・・知らなかった。 「キャデラック」? そんなレーベルあった? フィクションだと思っていたら 何と、シカゴの「チェス・レコード」の史実に基づいて映画化したものでした。 「チェス」がなかったら、現在もロックミュージックは無かったかもしれない。 チャック・ベリーが始めた、速いバックビートのブルーズをかってに “ロックンロール”って名前を付けて白人が盗んだから・・・・・ (映画の中で彼の「スイート・リトル・シックスティーン」をLAの白人のバンド、 ビーチ・ボーイズが「サーフィンUSA」というタイトルでパクったエピソードも出てきます) そうそう大事なこと言うの忘れてた、べるたちのバンド “サプライーズ”だって「チェス」がなかったら生まれなかったかも(笑) それくらい偉大なレーベルです、べるも10代の頃に必死で資料を読み漁りました。 1947年シカゴ、ポーランド出身のユダヤ系移民の兄弟レナードとフィル、 黒人音楽に魅せられナイトクラブ経営をしていたが、ついにレコード会社を持つことに。 マディ・ウォーターズを発掘し、彼のイカすエレクトリック・ブルーズを ハープのリトル・ウォルターと共にプロデュースして世に送り出した。 その後はハウリン・ウルフ、チャック・ベリー、そしてエタ・ジェイムス、etc..... 一方大西洋の向こう、第2次世界大戦後の英国では 黒人米兵たちが残して行ったレコードが若者たちの心に火を付けた。 それらが本物の“黒い”JAZZやブルースだった。 やがて、そんな黒人音楽をカバーしたバンドが数多く生まれた。 そして1960年代にチェスの熱心な信者とも言える ザ・ローリングストーンズのメンバーたちは成功後、 アメリカツアーの合間にシカゴではチェスに詣でる。 ついに長年憧れたマディにも対面し、夢だったココでのレコーディングを行う。 やはりシカゴの“音”はバツグンに違うんでしょう。 ちなみにその後ザ・ローリングストーンズ・レコードの 社長になった男はマーシャル・チェス、レナードの息子なんです! ちなみにマディの“俺は放浪者だ”と歌ってる曲"Rollin' Stone"は ローリングストーンズのバンド名の由来、ブライアン・ジョーンズの命名だ。 無邪気な英国のバンドボーイたちと違いアメリカじゃ公民権運動前夜、 まだまだ白人と黒人は別世界で暮らしていた、音楽だってお互いのモノは聴いたこともない。 南部では黒人の少年が白人の少女に口笛を吹いただけで リンチに合い殺される、そんな酷い状況だった。 音楽から“差別”をなくしていったのがチェスの功績だと思うんです。 この映画は大勢の人に観てほしい、べるの人格形成は こんなトゥルー・ストーリーの影響大だって、今でも思います。 こちらが本物のマディと彼のトレードマーク、テレキャスター! 「名古屋でオーダースーツを提供する東洋商事株式会社のHPはこちら」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
June 12, 2013 04:13:05 PM
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