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テーマ:ニュース(100194)
カテゴリ:ニュース
またも無差別通り魔事件が秋葉原で起こった。 身勝手な犯人の凶行で尊い生命を失った被害者の皆様にはご冥福を祈るしかない。 それにしてもこの犯人の「殺す相手は誰でも良かった」との自白はつくづく腹立たしい。 呆れる程の自己中心で、他人の人生など微塵にも尊重していない態度そのものだ。 被害者と遺族の無念さを思えば、この馬鹿者には「のこぎり挽き」でもしてもらいたい程だ。 自分が遺族だったらと思うと、マグマのような怒りを抑える事は難しいだろう。 犯人が何を悲観し、憤り犯行に及んだかは知らないが、何の関係もない人々を殺傷した時点でその行為の正当性は原子レベルでも存在はしない! そもそも衣食住にそれほど困らないこの日本で不満を訴えるのは贅沢な悩みだ。 金銭および持病の悩み以外では本人の努力次第で基本的な生活が営めるのが日本社会である。 大小の差はあれど、いくらでも幸せを見つけ、個々の幸福を構築して行く事はできるはずであろう。 いや、恵まれない環境、障害や病気に苦しむ人でも自身の幸福を見つけようと必死に生きている人も大勢いる。 世界に目を移せば生きて行く事さえままならない人達がなんと多い事か。 いつも思う事だが、今回の身勝手な犯罪者には極刑の代わりに世界の地雷原の撤去を一生をかけて無償でやらせるのが良いのではないかと思う。 それですこしでも生命の大切さ、死の恐怖を実感させなければ自分の罪の大きさを知る事は無いだろう。 高校の恩師にこう言われた事がある。 「自分だけが不幸だと思うな」 自分が苦しいとき、困難に負けそうな時はいつもこの言葉を思い出す。 悲観主義に凝り固まった人間には耳が痛い言葉ではあろうが、自分よりも不幸な環境で生きている人間は確実にいる。 またそれが真実である。 それを知りつつなおも無差別殺人に走る馬鹿者には付ける薬は無かろう。 漫画や小説、映画では悪役という立場で描かれようが、現実の世界ではただのバカだ! 犯罪者の記録には残るが、現実社会では肉親からも忌み嫌われ、他人からはゴミ虫以下に思われて人々の記憶から消される存在にしかならない。 たまに思い出されても「ああ、あのバカ」としか認識されまい。 そんな存在が嫌ならもう一度周りを見つめ直せばいい。 自分の不幸のみではなく、自分がどれだけ生かされてきたかを考えるがいい。 この世に何も意味もなく「生」を受けるものなど一切存在しない。 生命は生きるために生まれてくるのだ。 そんな当たり前の事も分からない人間が増える事に本当の憤りを感じる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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