ありがとう栽監督。
沖縄水産高校野球部の栽監督が亡くなられた。享年65歳でした。沖縄の高校野球を全国レベルにまで引き上げた功労者であり、高校野球では有名な方です。僕も小学生の時に(当時は少年野球をしていた)栽監督率いる豊見城高校に練習風景を見学した際、超高校級と言われた赤嶺投手の速球を目の当たりにしてビビった事を思い出します。(その赤嶺投手は原監督と甲子園で対決していたと記憶してます)栽監督の野球は面白く、選手の能力に合わせてチーム作りをしていたように思えます。素質のある投手が在籍している時は守備や機動力を重視したチームを作り、投手力が足りない場合はウェートトレで鍛えて100メートル打線と言う打力中心のチームを作ったりしていました。栽監督の野球指導のおかげで野球後進国と思われた沖縄の高校野球を、強い野球チームと全国の高校野球ファンに感じさせるまでにイメージを変えてくれました。その意味でも沖縄高校野球の父と称しても過言ではない存在だと思います。本当に残念であり、沖縄県民であれば栽監督にあの甲子園の深紅の大優勝旗を手渡して上げたかったと思っている事でしょう。ただそれでも栽監督の功績が色あせる事は絶対にありません。90,91年の夏の退会2年連続の準優勝は沖縄のみでなく全国の高校野球ファンに感動を与えてくれました。特に91年の決勝まで投げ抜いた大野投手の力投は閉会式で大会委員長が個人名で讃えてくれるという異例が出る程でした。(それほど大野投手はボロボロになるまで投げ抜いたのですが、良い控え投手がいれば優勝していた内容でした)本当に沖縄県民に高校野球の楽しさと興奮を与えてくれた栽監督に最大級の尊敬の念と感謝の言葉を贈りたいと思います。栽監督、今まで本当にありがとうございました。安らかにおやすみください。