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死刑執行の形場がメディアに公開された。死刑に関する議論を進めるきっかけとしたいというのが法相の思惑らしい。
しかし死刑存続か廃止かという議論はそう簡単には進まないだろう。マスコミなどいいかげんなもので、これまでも凶悪犯罪が起こる度に死刑廃止論的な意見は急に姿を消していった。そしてほとぼりが冷めた頃死刑制度に批判的な記事を載せたりする。もし本当に死刑廃止論を論じたいのなら、凶悪犯罪が起こったときにこそ主張すべきだろう。 それはさておき、私の考えとしては、死刑制度そのものを議論する前に、現在の無期懲役(無期といっても実際は20年程度で出所するらしい)と死刑の間を埋めるような刑を早急につくってほしい。 懲役300年とか、終身刑とか。絶対に生涯塀の外に出られない刑を作ることは、死刑廃止か否かといった大上段に構えた議論よりもよほどスムーズに進められるのではないだろうか。 仮に終身刑という刑ができれば、それ以前なら死刑にせざるを得なかったような犯罪者の相当数に終身刑が適応されると思われる。おそらくは自然に死刑判決は減っていくだろう。実際に適応されることが無くなってくれば実質上の死刑廃止と変わらない。 死刑が果たして最も過酷な刑かどうかという問題もある。 「死にたいから他人を殺して死刑になりたい」などという以前では考えられ無かった無差別殺人が起こる時代である。そんな殺人者にとって死刑は苦痛ではなく、むしろ願ったり叶ったりだ。それで遺族感情がいくらかでも慰められるだろうか? そういう加害者には一生を塀の中で過ごしてもらい、そのうち頭がまともになって自責の念に苛まれるようになればそれが一番の刑罰だろう。 *死刑廃止論者の決まり文句のひとつに、「人間が裁く以上冤罪が起こる可能性は常にある。もし冤罪で死刑になってしまうと、取り返しがつかない」というのがある。理解はできるが、この論理はどこかひっかかる。死刑以外の刑であっても冤罪は許されるものでは無い。 管家さんの冤罪事件は記憶に新しいが、死刑ではなくとも管家さんが失った時間はもう取り戻せない。 しかも冤罪が明らかになったのに、元検事は謝罪一つしない。 これでは死刑が無くなることでさらに気軽に冤罪が作られるのではないかと疑いたくなる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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