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テーマ:京都。(6100)
カテゴリ:Kyoto
5月15日、葵祭に行ってきました。 平安中期の貴族の間では、「祭り」と言えば葵祭。。。 御所から、下鴨神社へ。 今年は、行列の最終地点である上賀茂神社で待ち伏せしてみました。 ここに帰って来るのは、午後3時30分ごろです。 上賀茂神社は、伊勢神宮に次いで高い位を与えられた京都最古の神社です。 凛と澄みきった高貴な美しさをたたえています。 川がゆったり流れ、いつ訪れても、心洗われます。 Mitti家は、毎年の初詣は、下鴨神社と、上賀茂神社に御参りしています。 毎年のことですが、娘達は、5,6時間目の授業は葵祭見学だったようです。 人が、いっぱいで、鳥居の中に入ることができませんでした。 入り口付近で行列を待つことにしました。 それにしてもたくさんの人です~ 吉田兼好の徒然草にこんな、くだりがありました。 高校の時に勉強して印象に残っていて、思い出し、読んでみると、おもしろいです。 137段です。 さやうの人の祭見しさま、いと珍らかなりき。 ・・・(中略) 「渡り候ふ」と言ふ時に、 おのおの肝潰るゝやうに争ひ走り上りて、 落ちぬべきまで簾張り出でて、押し合ひつゝ、一事も見洩さじとまぼりて、 「とあり、かゝり」と物毎に言ひて、 渡り過ぎぬれば、「また渡らんまで」と言ひて下りぬ。 こういう人たちが、下鴨神社の葵祭を見物している現場は、大変ちんちくりんである。 ・・・(中略) 「いま通り過ぎます」と報告があったときに、 あれよあれよと内臓が圧迫してしまうぐらいの勢いで、 お互いに牽制しながら走ってやってきては、 落っこちそうになるまで、すだれを押し出して、押しくらまんじゅう。 一瞬でも見逃すまいと凝視して、 「がー。ぴー」と何かあるたびに奇声をあげて、 行列が行ってしまうと「次が来るまで」と言い、見物席からいなくなってしまう。 見張りがおいておけるご身分の方はいいですよね。 私が、立っていたところは、最初、西日が当たっていたのに、 とても大きな樫の木の日陰になりました。 待ち時間は、長いようであっという間。 今から約1400年前ごろ、大凶作に見舞われ、都では病気ががはやりました。 天皇が占わせたところ、この災いは賀茂の神々のたたりであるというので、 天皇が勅使を遣わし、祭礼を行ったのが葵祭の起源だそうです。 斎王代。葵祭のヒロイン。 斎王代はかつて賀茂神社に仕えた未婚の内親王「斎王」の代理。 参列者は、頭に葵の葉をさしたはります。 最終地点でしたので、御所や、下鴨神社、街道でみる、 かしこまった雰囲気とは違いました。 どことなく、お疲れがでているようです。 そうでしょうね。だって、8キロの道のりを歩くのですよ。 (馬に乗っている人もいますけどね) 女官の方が、一人で、馬から下りる。 京都乗馬クラブの方だそうですよ。みんなとても上手。 友人もクラブに入っていて、葵祭りに参加したことがあります。 私も、何回か誘われたことがあります。 いいな~ やっぱり、乗ってみたい。 最終地点ならではの、こんな風景も見ることができました。 祭りの楽しさはこういうところにもありますね。 さらに、徒然草では、こんな風に綴られています。 暮るゝほどには、立て並べつる車ども、所なく並みゐつる人も、 いづかたへか行きつらん、 程なく稀に成りて、 車どものらうがはしさも済みぬれば、 簾・畳も取り払ひ、目の前にさびしげになりゆくこそ、 世の例も思ひ知られて、あはれなれ。 大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ 日暮れ方になって、ずらりと並んでいた牛車も、 すき間なく列をつくっていた人たち も、いったいどこへ行くのか、 あっという間にいなくなってしまう、 牛車の走る騒音がなくなり、 桟敷のすだれも畳も片づけられて、都大路が見る間に閑散としていくのを見ていると わたしは人の世のはかなさを思わずにはいられない。 このように都大路を見てこそ葵祭りを見たと言えるのである。 お祭りの終わり。牛車が消えていきます。 馬も木陰で休んでいます。 お疲れさまでした。 今年は、お天気に恵まれました。 素敵な五月の午後を過ごすことができました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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