B.C.B.G.な暮らし
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7月5日。坂本龍一氏と高谷史郎氏のインスタレーションへ。 大徳寺に到着。6時。 まだ辺りは明るく、 西日がまぶしいくらいです。 大徳寺の中の塔頭。 養徳院に向かいました。 梅雨の中休み。 過ごしやすい夕方です。 門をはいって、小路を奥へ奥へと。。。 畳の部屋は、すべてふすまが取り払われ、 縁側から、庭園へと、とても開放的な感じがします。 日本家屋の素晴らしさは、こういうところにありますね。 梅雨の雨でよりいっそう、緑が濃くなった庭園側が舞台になっていて、 畳の部屋からみると、まるで一幅の絵画のように見えます。 そちらに、大きな鏡が3枚。 パソコンでリモートコントロールできるようになっています。 6時30分。 どこからともなくお香の香りが。。。 ラップトップで即興に作り出された音が少しずつ、浮遊しはじめるのです。 その音は、鎖の音であったり、鐘の音であったり、 子供の声であったり、鳥の鳴き声であったり、風のうなりであったり、 メロディや、リズムでもなく、ノイズをはらんだ音でもあります。 耳に心地よく、空間に溶け込むようです。 その音は、連なりとして存在するのではなく、 それぞれが独立していて、始まりも終わりもありません。 音が鳴り始めて、よりいっそう、空間の静寂さを感じます。 目を閉じて、耳をすませてみます。 音そのものが、空間そのものなのですね。 その音に、饗応するように、2枚の鏡がゆっくりと上下左右に動いて、 いろいろな、映像を移し始めます。 そういえば、鏡が映し出す世界って、上下反転ではなく、左右反転なんですよね。 辺りがしだいに暗くなるにつれて、 鏡が映し出す光の世界も変わり、それにつれて、音も微妙に変化していきます。 この空間では、時間がとてもゆっくり流れていて、 現在、過去、未来が、混在しているかのようにも感じました。 本当に不思議です。 音や光は、生まれたとたんに死んでしまうものなのですが、 鏡が作り出す映像効果によって、 その瞬間、今という時間が少し長くなったような気がします。 ひとつの音が捉える時間の広がり。。。 目の前に見えている世界が本当なのか。鏡の世界が本当なのか。 だからどこも本当じゃないのかも・・・ でも、反対にどこも本当であるという考え方もできるのですよね。 ぜんぜん嘘のない世界の中で、 たまたま人間が本当と嘘とを使い分けているのかもしれません。 言葉にはならない、ある感覚的な世界の見方を提示してくれているかのようです。 辺りが真っ暗になったころ、鏡の世界だけが浮き上がったようになってきました。 ピアノの和音が・・・ とても美しかったです。 透明感があって、きらきらして、輝いていました。 7月の夕暮れ。 こんなに贅沢なひと時を過ごさせていただきました。 感謝いたします。
Calling you♪ 2008.12.08 コメント(11)
解き放ちたまえ。 2008.09.29 コメント(10)
HASYMO 2008.08.05 コメント(6)
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