B.C.B.G.な暮らし
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阪神大震災。 いつまでも忘れることができません。 もう、10年以上もたっているのに、思い出すとまだ身震いがします。 災害というのは、本当に怖いものですね。 健康であっても、精神的にかなりのダメージを受けるのです。 京都は、震源地から、かなり離れていたということを考えると、 神戸の方の受けられたショックは、相当なものだったと思います。 神戸だけではないのですけれどね。 それ以後も、あちこちで大きな地震がありました。 被災されました皆様方、改めて、お見舞い申し上げます。 そう、私は、実は、平成5年の北海道南西沖地震にもあったのでした。 覚えていらっしゃいますか。 奥尻島沖で起こった地震ですよ。 京都にいたら、遭遇することはなかったのでしょうけれど、 たまたま北海道に旅行に出かけていたのです。 忘れもしません。 初日で、洞爺湖畔のホテルの8階で ちょうどエレベーターに乗ろうとしようとしている時でした。 もし、エレベーターに乗っていたら、どうなっていたのかしら。 しばらく閉じ込められていましたね。 高層ビルというのは、かなり揺れるのですね。 ビヨ~ン。ビヨ~ンとしなる感じでしたわ。 倒れそうになりました。 ホテルだったので、家具がなくてよかったわ。 民家だといろんなものの下敷きになっていたかも。 あの時の揺れもすごかったですけれど、阪神大震災の揺れはそれ以上でした。 直下型の地震でしたものね。 地面の下から、揺れが突き上げてくる感じ。 もう二度とあのような地震に、あいたくありません。 といっても、災害はいつ起こるかわからないもの。 祖母がよく私に話してくれました。 関東大震災のことです。 確か、お昼時で、お台所でごまを煎っていたみたいなのです。 その時、突然、ぐらっと来たそうなのですが。 関東大震災ってそんなに強い地震だったのでしょうか! 京都にまで揺れが伝わるほど! そして、それに続くお話はこうです。 地割れがして、その中に、子供がはまってしまって、 助けようとした途端、その割れ目が閉じてしまい、 その子の髪の毛が抜けただけで、とうとう助からなかったという恐ろしいお話。 100回くらいは聞かされました。 子供の時、その話を聞くたび、凍りつくような思いでした。 暗くなっても、外に出て遊んでいたら、子とろ(注: 子とろとは子供誘拐犯)が出てくる というほんとのような嘘っぽい話より、断然怖かったです。 そんな祖母は、とても几帳面で、自分では運べないほどの避難袋を作っていましたわ。 (私も、震災後、同じようなことをして、主人にあきれられたという話、しましたね) 毎年、同じようなお話をしてすみません。 もう、Mittiは、同じ話ばっかりして~って言わないで。 でも、忘れてはいけないから、何回も同じ話をします。 祖母のように、いつまでも地震の怖さを話し続けたいです。 最近、雲の観測を怠っています。 常日頃から、地震に関するアンテナを鍛えておきたいです。 昔の実家は、古い木造家屋で、天井裏が広くて、 地震の前には、そこに住んでいるネズミや蛇がチョロチョロするので 地震の来る5秒前くらいに教えてくれたのですが。。。 嘘のようですが、ほんとの話です。 そうそう、昨年の震災の日にブログをアップした時に、 ヴィッセル神戸のサポーターさんが印象的なお話をしてくれました。 そのお話を最後に、お伝えしたいです。 ヴィッセル神戸は、震災と同じ年に生まれたサッカークラブだそうです。 神戸のサポさんたちは、試合開始前に、この歌を唄うたび、 神聖な気持ちにならはるそうです。 神戸賛歌♪ (原曲は「愛の賛歌」だそう) 俺たちのこの街にお前が生まれたあの日 どんなことがあっても忘れはしない ともに傷つき ともに立ち上がり これからもずっと 歩んでゆこう 美しき港町 俺たちは守りたい 命ある限り 神戸を愛したい オ・・・ 今日は、自宅での初稽古でした。O嬢の作品。 1月には、すっかり早春の花材になります。 ひと足早く、お花からフレッシュな春の陽光を届けてもらった感じ。 花材* 額アジサイ。チューリップ。スイートピー。玉しだ。 あと、もうすぐで立春どすな~
おやすみなさい☆ 2008.12.10 コメント(18)
来年もJ1で 2008.11.30 コメント(20)
日曜日のサッカー 2008.11.30 コメント(4)
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