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びーちぇの別館

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2012/02/28
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冬の太陽



2月26日の「たかじん」で取り上げた、ご皇室問題の危機。
「銀色の侍魂」さまのページに書かれていますが、

所教授の残念な本性が感じ取られたと思います。



三宅久之氏に、

「それね・・先生がね、やっぱり新憲法というものに毒されてるんですよ」

と看破され、激高して、

「私、今の憲法に毒されていると言われたけど、取り消してください!

 私はそんなことありません。」


と、真っ赤になって声を荒げておられました。



詳しくは「銀色の侍魂」さまのところで、

お読み頂くとして・・・

もっと見過ごせない、

所教授の卑怯な言説が明らかとなりましたので、

ここに記しておくことに致します。




斎藤吉久のイザ!ブログ
【再考。誰が女性宮家を言い出したのか】



斎藤氏はかねてから、

この皇室典範改正を追って書き続けておられます。

ただ、私にとっては、

少し読み取りにくいところもありましたので、

構成を変えて整理してみました。




以下「斎藤吉久のイザ!ブログ」より抜粋して引用

平成24年 正論3月号(2012)

所教授の記事は冒頭に、

昨年10月、羽毛田信吾宮内庁長官が野田佳彦首相に、

女性皇族が婚姻によって皇室を離れるため、

皇族の数が少なくなるから、

「皇室のご活動に支障を来す」と解説したことが、

「女性宮家」創設問題の発端であるかのように
書かれています。


所教授はまた、こう説明されています。

「この『女性宮家』案は、8年前『皇室典範有識者会議』で検討し、

 その報告書に『皇族女子は、婚姻後も皇室にとどまり、

 その配偶者も皇族の身分を有することとする必要がある』
としている」


 

ところが今回

 

野田首相に「女性宮家」創設を

「火急の件」として提案したと伝えられていることについて、

羽毛田長官は強く否定しています。

(「週刊朝日」昨年12月30日号)2011.




そこで、斎藤氏は直接、所教授に聞かれたそうです。


ご本人に直接、お話ししてみました。

意外な答えが返ってきました。

複数の資料を見た。

「女性宮家」を誰が言い出したのか、知らない
、というのです。



報告書原文

「現行制度では、皇族女子は天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、
 皇族の身分を離れることとされているが、
 女子が皇位継承資格を有することとした場合には、
 婚姻後も、皇位継承資格者として、皇族の身分にとどまり、
 その配偶者や子孫も皇族となることとする必要がある」


(「3、皇族の範囲」)と述べられていますが、
「女性宮家」とは表現されていません。



 

じつは、

有識者会議で「女性宮家」創設を唱えたのは、

所教授その人だったのです。


 

同会議は識者からのヒアリングを行っていますが、

教授は平成17年(2003)6月8日会議に招かれ、

こう述べています。

「皇族の総数が現在かなり極端に少なくなってきております。

 しかも、今後少子化が進み更に減少するおそれがあります。

 このような皇族の減少を何とかして食い止めるためには、

 まず女性皇族が結婚後も宮家を立てられることにより、

 皇族身分にとどまられることができるようにする必要があります」




けれども、

教授が当日配布した資料には、

「女系継承の容認と女性宮家の創立」と明記され、

「現在極端に少ない皇族の総数を増やすためには、

女子皇族も結婚により女性宮家を創立できるように改め、

その子女も皇族とする必要があろう」
などと記されています。


 

 

斎藤氏が語る「女性宮家」という言葉を使った、

一番古い記事のこと

 

もっとも古い記事は

「週刊朝日」平成16年(2004)7月9日号に掲載された

「雅子さま、救う『女性宮家』考」

という4ページの記事であることが分かります。



さっそく記事を読むと、そのリードには、

「皇太子さまの異例発言を受け、盛り上がる皇室典範改正論議。

『女性天皇』が認められれば、

皇太子妃雅子さまの悩みも軽減される──というわけでもないらしい。

愛子さまのプレッシャーを軽くするには

『女性宮家』の創設が先だとする研究者もいる

と書いてあります。


雑誌記事が出てから約半年後、

12月27日に設置されたのが、皇室典範有識者会議であり、

その報告書は翌年11月24日(2005) 小泉首相に提出されました。

少し調べれば、これだけの資料が出てくるのに、

所先生は自分が提唱者だとはおっしゃりません。??



そればかりではありません。

所先生は、「女性宮家」創設案の提唱者が

渡邉允前侍従長であるかのように書いています。


 

 

それが以下の記事

すでに前侍従長(現侍従職御用掛)の渡邉允氏が、

平成21年(2009)11月11日付『日本経済新聞』朝刊に

掲載されたインタビュー記事の中で、

『皇統論議は将来の世代に委ね……

女性宮家設立に合意できないものか』と述べておられる


(翌22年1月31日放映の

テレビ朝日「サンデー・プロジェクト」録画対談、

および「週刊朝日」同年12月31日号の特別対談でも


同趣の発言があった)」



所先生のいう「日経のインタビュー記事」は不正確です。

 日経はご在位20年企画として、

11月6日から社会面に

「平成の天皇」という連載を載せていたのです。

11日は連載の最後、5回目で、

「皇統の悩み。『女系』巡り割れる議論」でした。

記事は

「宮内庁には『このままでは宮家がゼロになる』との危機感から、

女性皇族を残すため女性宮家設立を望む声が強い。

しかし『女系天皇への道筋』として反発を招くとの意見もある」と述べ、

そのあとに渡邉允前侍従長の私見と断ったうえで、

既述の「女性宮家設立」案を語らせています。

 

【結論 】

『女性宮家』の創設が先だとする「研究者」は

まぎれもなく、所功教授であると思われます。

つまり、平成16年7月(2004) 以前に

所教授は「女性宮家」創設を考え出し、

すでに主張していたのですね!

それをまあ・・・

「女性宮家」を誰が言い出したのか知らない、とは!

このズルさは、

あの笠原教授と同類ですね!・・・orz

 

 






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Last updated  2012/02/28 04:18:14 PM



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