進駐軍
やたらと風は強いものの、春めいた温かさの午後、オトタマがガイヘルさんとの外歩きであれこれと買ってきてくれました。その道すがら♪梅は咲いたか 桜はまだかいな…♪ということで、あちこちの花をガイヘルさんがパチリ!パンジーと梅の花を撮ってくれました。存命なら90歳近いであろう、かつてのオトタマの先輩の同僚のKさんの話です。横浜は間門の出身で、代々の浜っ子だそうです。とにかく明るく面白い人で、職場のみならず、同じ職員宿舎で十数年暮らし、奥様も交え、あれこれとお世話になったそうです。そのKさん、学童疎開は国府津の寺で、あまりの空腹で、道端に落ちていた蜜柑の食べかす、雑草を食べたりもしたそうです。終戦となり、やっとの思いで横浜の実家へと辿り着けば一面が焼け野原で、ここがもしや我が家と焼けただれたトタン板を捲り上げたら、そこには姉の無残な姿があったと…!その後は無事だった母親との暮らしになり、16歳の時に18歳と偽って近くの進駐軍に雇われ、米兵相手に仕事をしているうち、自ずと英語はペラペラになったそうです。厨房勤務だったKさん、当時から米兵はビールをがぶがぶ、ステーキをじゃんじゃん食べていたそうで、こんな大男相手に日本が戦争に勝てるわけないと…ある日、勤務を終え、軍の門を出る際、警備兵に呼び止められたそうです。Kさんの懐には厨房から内緒で持ってきた缶詰が…!(汗)「Hey、ミク(Kさんの愛称)、その腹はどうした?」と言われ、いきなり機関銃を突き付けられたそうです。「お袋が病気なんだ..」と、嘘とも本当とも思える言葉が咄嗟に出たそうですが、「そうか、わかった。お袋を大切にな」と警備兵はニヤリと笑い、機関銃を戻したそうです。マッカーサー元帥が横浜へと来た際には見に行ったとか、はまのメリーさんとも面識があったとか、あれこれ話してくれたそうです。幼馴染のミッキー安川さんの中華料理屋が東戸塚にあった頃、Kさんに連れられオトタマも行ったそうで、盛り上がってくると二人は英語で喋っていたそうです。いつだったかアメリカのどこかの都市から議員が数名で職場訪問してきた際、本庁から手配された通訳よりもKさんのほうが英語がペラペラだったとか…!(笑)Kさんが定年退職後は電話でたまに話をしただけで、会うこともないまま30年近くが過ぎたと、オトタマも感慨深気です。そんなこんなで2月も終え、明日からは3月です。ほっこりと温かな春の到来を待ちわびるココタマです。