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カテゴリ:自分のこと
私には本当の友達が少ない。自分にとって本当のというのはかなり信頼度が高い事をさすんだけど、、、。基本的に自分から何でもかんでもさらけ出す方じゃないので、相手もちょっと壁を感じてしまうんだと思う。
だからいつも「一番の友達」には、なれないような気がする。 いくら仲がよくても、私はいつも2番目くらいで、1番目にはもっと仲のいい子が友達にはいるのだ。 忘れもしない小学校6年生のとき、親の決断で無理やり私立の女子小学校に編入させられた。 私は4年生から日能研へ通い、日曜テスト毎週受けて、夏期講習だの冬期講習だのに懸命になってた、かつて全国6位、町田校で10位以下から落ちたこと無かったようなスーパー小学生だった。自分は桜院か女子学院に行くって決めてた。 それが1個上の兄貴の中学受験失敗の打撃から親がほとほと参ってしまい、私を一番家から近い私立のエスカレーター式の女子校に叩き込んでしまった。偏差値も最悪な。 そこから自分の人生が少しづづ狂って行った。 公立の小学校では私は結構活躍してて、委員長とか必ずなっていた。先生も楽しくってお友達も沢山いて、毎日が楽しくて仕方なかった。勉強も大好きだった。やればやるほど点が上がるから、また楽しくなってやるって感じだった。 そこから一転。1学年1クラスしかない女子のみの世界に入ったから大変だった。先生はみんな意地悪なシスターで、私は思いっきり公立のにおいがぷんぷんしてたので、先生は「他の生徒に悪影響を与えないように!」みたいなことを毎日言われた。作文の言葉遣いが悪いとか、敬語が使えない私を毎日放送室に呼んで説教した。笑わなくなった。ガリガリに痩せた。親は気づかなかった。むしろ名のある学校だからって嬉しがってた。近所の友達は遠ざかっていった。 友達もお金持ちの娘ばっかりだからみんな我侭でグループでいつも行動しているようなのばっかりだったから、いつもなじめないで仲間外れにされては、他のクループに拾われて、って感じで、遠足の班決めなんていつも余ちゃってつらかった。 親は共働きだし、お弁当持参の学校だったから、母親の弁当に泣かされた。みんなきれいでカワイイお弁当なのに、自分はご飯に焼き鳥が乗ったようなものだった。ふたを立てて食べた。後はパンを買うことが多くなった。 みんなは幼稚園から一緒だったりするから、私が6年生から入ったことでは溶け込むのが容易でなかった。しかも先生にチクられて、親呼び出しになったりした。今まで中のよかった子が、平気で先生に言いつけて、それを誇りにするような友達しか居なかった。裏切られることが多かった。 中学になっても外部から40人だけ入っただけで2クラスだけ。1学年、2クラスだけ。どうやって友達を見つけるのさ。 勉強は好きだったから、問題なかったけど、英語で1位をとったりすることが多かった私は友達に嫉妬されてそれだけで仲間はずれにされた。 一人で本を読んで帰ることが多かった。私はぜんぜん気にしなかった。結構冷めてた。でも周りには「どうしたの~?なんでひとりでかえってるのぉ?こっちきなよぉ~」って拾われるのだ。(笑) 悪いけどクラスメイトは馬鹿ばっかりだった。自分のプライドが本当に許せなかった。でも何にもできなかった。親が全部決めてしまう。大学も決められた。 高校に入ると、勉強しかしなくなった。いつも卒業だけを考えてた。「こいつら、今に見てろよ」っていつも思いながら。大学試験は楽勝だった。試験で分からない単語なんて無かった。遠足も行かなかったし、最後のアルバム撮影も車の免許とってて、行かなかった。 このとき好きな人がいたからココまでできた。(それは5月14日の日記を読めば分かります)バイトは禁止だったけど、誰にも言わないでやってた。 それでも一人だけ仲のいい子がいた。すごく芸術肌の子で、彼女の描く絵はものすごく個性的だった。今でも付き合ってる。これは奇跡に近い。 付属の大学でも友達はいたけど、柄が違った。みんな合コンに忙しかった。ブランド物のバックの話についていけなかったっていうか興味なかった。図書館でいつもフランス映画みてるか、暗室で写真焼いてた。 家から2時間以上かかるところから通わなければならないので、友達も遠慮して誘わなくなった。門限も厳しかった。みんな「バイバイ友達」になった。暑中見舞いに返事が1通も来なかった。バイトに明け暮れてとんぼ返りすることが多かった。 なんだろうねぇ。私は人に恵まれない。友達がたくさんいる人がうらやましかったりするんだけど。いつも行く場所を間違えてるようなきがする。 勤めた美容院も、大卒の私には風当たりが強かった。名前を言っただけで「え~!お譲サマじゃん!」っていわれることにうんざりした。「大学でてこれもできないの~?!」とか平気で言われた。 こんなにも学歴にコンプレックスを感じなきゃいけないことがすごくイヤだった。学歴を言わなくなった。同時に馬鹿な人と話をするのが極端に嫌いになった。 両親は自分たちの独断でなんでもした。意見を聞かれたことなんて無い。逆らうのもダメ。地獄だった。彼になる人も大卒じゃないとダメだった。(彼らにとって) いまだに何歳で結婚して何歳で子供を生めとかうるさい。何なんだろう。 母親は祖母に自分の薬剤師になる夢をつぶされて、実家の美容院を継がされた。だからやる気も起こらず、今は趣味程度の店になってしまった。それを私にしているのだ。 本当はモロッコの旅行会社の駐在員として職が決まっていたんだけど、祖母が危篤で家を手伝う羽目になり、だめになった。(ダメにさせられた)落ち着いたころ、もう新卒じゃなくなってた。 自分が持ってるのは美容免許だけだった。母親は自分が美容師だけに美容師になるのを否定しなかった。それはいづれ私にやらせようとしてだからだ。祖母と口をそろえて免許を取るように言われた。自分の嫌いじゃなかったからそれはできた。 でもその後、兄が医者になり、兄の結婚式には私は「家事手伝い」として紹介され、美容師であることを伏せられた。 私は自分の親を軽蔑した。私は東京で自立して夜も寝ないで働いてるのに、親が美容師である私を恥じたのだ。 だから私には信頼できる人がいない。親は平気で手紙まで読んでしまうような人だ。友達も昔のトラウマで信用できない。今の彼はすごく信用できるけど、男としては分からない。祖父、父、兄、と代々遊び人だからだ。 時々すごく寂しくなることがある。自分しか信用できない。自分がもっと強くならなくてはと。それと引き換えに誰かに本当は思い切り甘えたい衝動にかられる。やるせない。 これでよく道を踏み外さなかったかな~って思う。 今最高の彼が今までのご褒美なのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004/05/17 05:07:09 AM
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