自己満足 -花咲爺さんと意地悪爺さん-
自己満足とは、「自分自身または自分の行為に自ら満足すること」(広辞苑)なのだそうです。自分だけが満足感を得たり、認められるためだけに、行動を起こすと、一瞬、自分だけは満足した気持ちになれることでしょう。しかし、逆に、心の奥底は、次第に冷めた自分を空しく意識しているのではないでしょうか。人は、しっかりと人と向き合うことによって、真に磨かれて行くものです。自己を向上させ、より幸せに導くのは、接する人があってこそなのです。つまり、人をより光り輝かせることが出来るのは人であり、真の成長や幸福も、人と向き合う、人と人の間に存在するものなのです。ところが、自己満足を突き進めて行くと、そこで接する人々の姿は、全く見えなくなってしまいます。相手不在の中で得られるものは、一瞬の自己満足感。失うものは、それ以外の殆ど総てと言っても過言ではありません。ところで、日本の昔話に、「花咲爺さん」という有名なお話しがあります。花咲爺さんに対するのは意地悪爺さん。この意地悪爺さんは、自己満足を追求する人として、象徴的に登場して来ます。花咲爺さんも意地悪爺さんも、物語の中では、同じようなことをやっているように見えるのですが、結果は全く違ってしまいます。自分以外の人のこともよく考えて行動しようと心がける花咲爺さんに対して、自分のためだけに行動しようとする意地悪爺さん。胸に手を当てて、よくよく考えてみると、実は、この意地悪爺さん的発想や行動は、私の中には勿論、あなたの心の中にも、ひょっとすると存在しているのかも知れません。私は、自己満足で目の前の相手が全く見えなくなった経験が何度もあります。お伽話の中の勧善懲悪主義の作り話として簡単に片付けるのではなく、先ずはそのことに気付き、そして、自分にとって何が自己満足なのか? 自分自身の魂に真正面から真剣に問いかけてみることです。