テーマ:私のイギリス生活(444)
カテゴリ:Benjamesのひとりごと
恋愛至上主義というのは、人生のなかですべてを差し置いて恋愛にプライオリティを置く事で、年齢の若い人に恋愛至上主義が多いのはまだ人生の他の面白いことを知らず、情熱を傾けて取り組む事の出来る仕事(必ずしも報酬と結びつくものではない)にめぐり合っていないからだと思う。
大人になって恋愛至上主義でいるのは人生にやりがいのある仕事をみつけられないでいる、気の毒な人だと思う。 私は人を愛する事をおかしい、と言っているのではない。 「恋は盲目」状態をいくつになっても続けている事が私にはよくわからないのだ。 恋愛至上主義は、不倫や浮気とは一線を画していて、結婚してようが、同棲しているパートナーがいようが、他に好きな人が出来るとそっちに走ってしまうことだ。 だから、ある意味で正直な生き方だと思う。 しかし、ここで「正直」というのは、あくまで「自分に正直」なのであって、他人からみると『利己的』であり、『自分勝手』とも言える。 なぜ、こんな柄にもないことを今日は書いているのか、というと身近で「おぉ!なぜ?」と言うことがあったのです。 ここに2つのカップルがいて、カップルAのダンナ(C)は愛想のいい、気さくな人。 その奥さん(J)は一方、無愛想なブス(失礼)で「なぜCさんはこの人とご夫婦なの?」と疑問を感じていた。 カップルBのダンナ(X)はよく知らないけど、奥さん(H)はオープンで人あたりがいいだけでなく、博士号を持っていてロンドンの大学で研究に従事しているプロフェッショナル(ここが問題!)。 そして、このカップルAとBの4人はお互いよく知っている間柄。 で、カップルAのダンナとカップルBの奥さんがそれぞれの家庭を捨てて恋愛に走ってしまったのですね。 そしてその事実は二つのカップルが属する社会に公になってしまったのだ。 私としては、もともとCさんとHさんにはそれぞれ好感を持っていたし、Jは「イヤな人」と言うイメージがあったので、CとHが惹かれあうことに共感を感じないと言ってはウソになる。 でも、やはり、お互い結婚している身で、未成年の子供もいるのに無責任ではないのか、と思う。 しかもあまりに自分の夫や妻の社会的メンツ丸つぶれのやり方ではないか。 人を恋したり、愛したりするのは人間として生まれてきた事の何よりの特典だ。 そして強制されたり、義務付けられたりすべきものではない。 『愛は戦場』なんて歌詞があったけど、愛はうつろいやすく、自分がどれだけ深く誰かを愛したとしてもその人が自分を愛し返してくれると言う保証なんてないのだ。 愛はある意味で弱肉強食の世界。 しかし結婚と言うコミットメントをして子供を育てている以上、コミットした自分に対する責任はないのだろうか。 この場合、信じていた夫や妻に裏切られた他方の心の傷やメンツはどうするのだろうか。 また母や父に捨てられた(恋愛に重きを置かれた)子供の心の傷は? 私は人間関係で最も大切なものは信頼だと思う。 そして他人から寄せられる信頼というのは心地よいものだが、常にそれに応えられるとは限らない。 一方的に寄せられる信頼だってあるだろうし。 でもいったん、自分からコミットした信頼を反故にするにはそれなりの仁義があるのではないだろうか。 私は考え方が旧いのかもしれないが・・・。 とりとめのない話になってしまったが(『ひとりごと』と言うことでご勘弁ください)、恋愛至上主義の人たちは一生、弱肉強食の愛の世界で生きていくのだろう。 Cさんはこの間まで職場の同僚と不倫していたというし、ひょっとすると愛想はいいけど調子がいいだけの軽い男なのかもしれない。 Hさんは今は幸せかもしれないけど、またCさんが新たな相手を見付ける可能性だってあるし、その逆もありうる。 恋愛至上主義=弱肉強食=因果応報か・・・?。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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