【凌駕(りょうが)】
【凌駕(りょうが)】祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。(口語訳 ヨハネによる福音書7章37-38節)信仰に立った時、その恵みは計り知れず、祈りは、日々満たされる・・・だが!一旦、洗礼を授かるとサタンの攻撃が押しかけ押し寄せて、その迫害に倒れる人もままならない先日、親愛なる牧師のメッセージでこんな事を話していた・・・ それは人は、藁にも縋る(わらにもすがる)思いで神様に祈り 時に其の状況の好転に神様を受け入れる事も多い だがその事実は、思いがけずに「神様を試す」ことにつながるのだという。だが、聖書には 「イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。」(マタイ4章7節)と・・・参考2 民がモーセと争い、「我々に飲み水を与えよ」と言うと、モーセは言った。 「なぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試すのか。」 3 しかし、民は喉が渇いてしかたないので、モーセに向かって不平を述べた。 「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」 (出エジプト17章2-3節) それ故に私たちが洗礼を授かり成長する段階へと歩み出た時に ミルクを飲む 乳飲み子に止まる事無く「ヨハネ7章」のように恵みの川を流さなければならないのだと言う。溜め込み (ためこみ) 蓄えて 淀んだ(よどんだ)決っして沼にはなってはならないのだと言う。私たちは今 恵みを凌駕として 神の御国に財(ざい)を積む者と変えられる そして この川の流れは 海に出て雲と成り雨と成り 又、私たちの天国の恵みとして巡ってくるのである。川の恵みを繋ぐ者(つなぐもの)へとなりなさい その腹から生ける水が川となって流れ出るように感謝しまて ハレルヤ エーメン[ボイスプログ]筑波福音基督教会(中国語/日本語 礼拝)更新http://www.voiceblog.jp/tsukbataiwankyoukai/