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テーマ:「愛」・「命」(2791)
カテゴリ:ハレルヤ
2024年4月27日 韓国の信仰の友より 何時も有難う御座います。 「わたしはケバル川の河畔に住んでいた捕囚の人々の間にいたが、そのとき天が開かれㄴ。わたしは神の顕現に接した」(エゼキエル1:1)。「神の顕現」(マルオート・エローヒーム)は「神の幻」(口語)、あるいは「神々しい幻」(新改訳)にも訳されます。顕現や幻に訳されるマルオート(単数マルアー)は「鏡」(出38:8)を意味する語彙です。主はモーセと「あらわに、謎によらずに」語り合った(民12:8)時の「あらわに」が同じ語源です。辞書では、幻とは実在しないものが見えると説明します。しかし聖書のマルオートは鏡を通して実体を見るようなあきらかなものです。エゼキエルは鏡を通して神の民の実体を見たのです。新しく再建されるエルサレムの実体を見たことでしょう。「平和だ、平和だ」と実体のない言葉で民を慰め惑わす偽預言者たちではなく、主よ、天の門を開いて鏡で見るように、あなたの民が再建され、まことの預言者が語り、主の民が聞いていくマルオートを見させてください!と、祈りを捧げる民がございます。ケバル川の河畔に座ってあなたを祈り求めるこれらの人々を忘れないでください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年04月27日 14時06分34秒
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