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テーマ:「愛」・「命」(2791)
カテゴリ:ハレルヤ
2024年5月06日 韓国の信仰の友より
何時も有難う御座います。 「神の民の国民性」というものはありますでしょうか。もし、あるとしたらどういうものでしょうか。 「ヘブル」という言葉があります。これは、「渡っていく」という意味の動詞アバルから由来する「エベル」(川向こう:ヨシュア24:2)と同じ語源をもつ名詞です。アブラハムは「川向こうから行き先も知らずに信仰をもって渡ってきた」ヘブル人の祖先です(創世記14:13, 40:15; ヘブル11:8)。神の国の民の始まりは「信仰によって川向こうから渡ってくる出発点」にあると言ってよいでしょう。だから、これこそ神の国の国民性、DNAであると言って良いかも知れません。 2024年5月07日 韓国の信仰の友より 何時も有難う御座います。 「人の子よ。イスラエルの家の長老たちが、闇の中でおのおの、自分の偶像の部屋で行なっていることを見たか」(エゼキエル8:12)。長老たちは闇の中、偶像の部屋で何をしたのでしょうか?「行う」と訳されたアーシャーは切る、刻む、彫るなどの意味を持つ動詞で、神が「大空をつくり」(創1:7)、アロンが「若い雄牛の鋳像を造った」(出32:4)などに登場します。そういう意味で、NASB聖書は長老たちは闇の中で、この地を見捨てられたと不平を言いながら、神に取って代わる偶像を槌と丁で彫って彫刻する(carved images)意味に訳しました。また、KJVは闇の中を「想像する場所」(chambers of his imagery)と訳し、主に取って代わる忌み嫌うべきものを想像しながら思い巡らしたという意味にとっています。主なる神の創造的なアーシャーの祝福を遠ざけ、時代の文化的に福音宣教を理解しアプローチしようとするマーケッティング理論に依拠する考えは、偶像の罪を犯すことになります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年05月08日 18時45分12秒
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