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2024年05月30日
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カテゴリ:「愛」「命」
2024年5月29-30日 韓国の信仰の友より

2024年5月29日 韓国の信仰の友より
何時も有難う御座います。

正しい者も悪しき者をも絶ってしまう」(エゼキエル21:3)。災難や災害は人を選ばないのです。正しい者も悪き者も関係なく絶たれてしまう(カーラト)と聖書は語ります。神の預言者エゼキエルも例外ではありませんでした。「わたしはイエスを信じるから大丈夫」というような思いは高慢でしょう。正しい者と悪しき者が一緒に絶たれてしまうとは一体どういうことでしょうか。深い黙想が求められます。少なくとも、団体責任が問われているのではないかと思われます。カーラトとは基本的に切り捨てるという意味を持つ動詞ですが、「契約を結ぶ」(創15:18)という意味にも訳されています。神の契約の民は「倒れても打ち捨てられるのではありません」(詩37:24)。だから彼らには慰めと回復の希望があったのです。同じように、私たちにもそのような慰めと回復の恵が注がれていることを信じ感謝しましょう。

2024年5月30日 韓国の信仰の友より
何時も有難う御座います。

「この地を滅ぼすことがないように、わたしはわが前に石垣を築き、石垣の崩れ口に立つ者(修理する者:新改訳)を彼らの中から流し求めたが、見出すことができなかった」(エゼキエル22:30)。「ありの穴から堤もくずれる」という言葉があります。私たちは山につまずくのではなく、小さなありの丘に躓いて倒れます。「崩れ口」(ペレーツ)とは小さなありの穴から堰を切ったように流れ出て崩れ落ちるという状態を言い表す言葉です。ヒビが入り、小さな穴ができるといつかは崩れてしまうのです。その時には手に負い得なくなります。主は「すべてのイスラエルの民が溶鉱炉に入れられ溶かされ鉄屑にならないように」(19,20)「崩れ口を修理する」者がどこにいるのかと探し求めたが結局は見つけることはできませんでした。主が探し求めているその人になりように祈り求めましょう。





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最終更新日  2024年05月30日 10時07分25秒
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