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BETHESDA

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2024年09月22日
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カテゴリ:「愛」「命」




韓国の信仰の友より2024年9月13日、16日、17日、18日、20日 いつも有難うございます。

2024年9月13日 
「こうして彼らは…喜び歌った…神が(喜びをもって)彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子供も喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声は遥か遠くまで聞こえた」(ネヘ12:43)。原文には「喜び」という言葉が5回も現れます。城壁を再建し奉献式を捧げる民の思いはとても大きな喜びに満ち溢れていたことであります。「喜ぶ」(シャーハ:動詞)「喜び」(シムハー:名詞)は生の現実の現場から体験的に与えられる感動と喜びを言い表す語彙であるとも言えます。だからその喜びのゆえに、もう一度立ち上がれ、再出発のできる喜びとなります。聖書では、特に主に出会うことによって与えられる喜びを現すこともあります。信仰の共同体の新しい出発、御言葉によって主との人格的な出会いによって心に満ち溢れる喜びは五回以上のものでありましょう。このような回復と再出発の喜びが週末と主日を通して与えられることを祈ります。   
2024年9月16日
「わたしは彼らを清めて、異邦のものをことごとく捨てさせ、祭祀およびレビびとの務めを定めて、おのおのそのわざにつかせた…また初物を捧げさせた」(ネヘ13:30,31)。城壁の再建と奉献式後、ネヘミヤはしばらくペルシアに戻り12年ぶりにイスラエルに帰ってきたところ、イスラエルの霊的状況は完全に崩れ落ち、その世俗化が深刻でした。やっと回復ができかと思った矢先に、神の民の「聖さ」はまた世俗の波に飲み込まれて跡型もなくなるような事態を迎えていたのです。10年ほどで完全に崩れ以前よりももっと酷くなっていたのです。回復の目処のたたない難しいところです。そこでネヘミヤの処方箋は「清める」ことからでした。それは異邦人を完全と別れること、礼拝者が本来の務めに戻り、それを果たしていくことであり、そして初物を捧げてから「わが神よ、わたしを覚え、わたしをお恵みください」と祈ることです。実に、私たちこそ回復が必要な時代を生きているのではありませんか。主を私たちを新しくしてください。 
2024年9月17日
「エステルは彼女を見るすべての者から好意を受けていた」(2:15)。すべての者から好意を受けているエステルは、その名前がペルシア語の名前で、ユダヤ名はハダッサーでありました。今日の言葉で言えば、彼女はペルシア国籍を持っていたが、彼女の魂はユダヤ人であったのです。しかし「自分の民族をも、自分の生まれをも明かさなかった」(10節)ほどの厳しい環境でありました。日本が朝鮮を武力で併合し、その民に創氏改名を要求し、皇民化しようとしました。目に見える名前は改名できたかも知れませんが、その魂まで変えることはできませんでした。エステルはペルシアの国に住んでいたのですが、神の民としての自己アイデンティティを失うことはありませんでした。神の民として生きることは民族を超えてすべての人々から「好意を受ける」ことです。好意(ヘーン)とは神の御心にかなうことです(6:8)。神の民として、国籍を超えて、常に神の好意を受けて、すべての人々国々からも好意を受けて生きる恵みを祈り求めましょう。
2024年9月18日
「王の家来たちはみな、ハマンに対してひざをかがめてひれ伏した…しかしモルデカイはひざもかがめず、ひれ伏そうともしなかった」(エス3:2)「ひざをかがめて(カーラ)ひれ伏す(シャーハー)」のは典型的な礼拝の行為です。人間に拝んだり忠誠を尽くすことは絶対にしないというモルデカいの信仰がここにあるのです。日本は戦中、天皇を現人神として崇拝することを国民に強要したのです。それにほとんどの教会と牧師は屈服したのです。隣の国まで出向いて積極的に煽る運動までもした人もいたのです。戦後、何もなかったかのようにその偶像崇拝煽動者は仕事につき、次世代の若者に教えていたのです。その結果は言わなくても、よくわかるはずです。天皇や国家が偶像化されやすい環境の中で、三位一体なる神のみを信じる信仰を堅く持ち続けられますように祈りましょう。
2024年9月20日
「法令にそむいても私は王のところへまいります。私は死ななければならないのでしたら、死にます」(エス4:16)。人間にひざをかがめひれ伏すことを拒むユダヤ人を殺そうとするハマンの計略の前で、ユダヤ人は「ひどくわめき叫び」ました。この悪巧みを阻止するためにエステルは「死ぬ覚悟で」戦います。安利淑(アン・イスク)女史の著書に『たといそうでなくても』(待晨社, 1972)があります。原書名は『死ななければならないならのでしたら、死にます』であります。天皇と日本の偶像の神々に参拝することを拒否し刑務所に投げ込まれた一人の女性の証しです。アン先生は、6年間、刑務所で拷問を受けつつ、そして死刑直前に日本の敗戦が決まり、生き延びました。形態は違っても、今日でも依然として人間などに忠誠を果たす盲従者がいます。イエスを信じることは、イエスのみが基準である人です。だから死ぬ時まで戦えるのです。このような闘争的な信仰者が求められる時代ではないでしょうか。

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2024年8月4日(韓国)オリュン教会日本語礼拝
能瀬熙至伝道師「エペソの教会」ボイス
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2024年8月11日(韓国)オリュン教会日本語礼拝
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【賛美】主の計画の中で
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https://www.youtube.com/watch?v=NjUEbhpxJYE&feature=youtu.be


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항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=MsfDBkdK3XQ&feature=youtu.be






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最終更新日  2024年09月22日 16時49分09秒
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