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BETHESDA

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2024年10月24日
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カテゴリ:ファミリー




韓国の信仰の友より
2024年10月14日、15日、21日、22日、
23日、24日、
いつも有難うございます。
2024年10月14日
「あなたが心を定め、あなたの手を神に向かって差し伸べ…悪を捨てるなら…あなたが必ず汚れのない顔をあげることができる」(ヨブ11:13-15)。三つ目の友ツォファルの話で、前の二人の友と大同小異の信仰的忠告です。一言で言えば「悔い改めなさい」という陳腐な決まりきった定型表現をヨブは聞かされました。悔い改める自体は正しいことですが、今のヨブの状況には相応しくないのです。ここからわかるのは、私たちが持つ聖書的な信仰と神学の弱さであり、同時に聖書が持つ深さです。だから「望みがある」(18)という話をするのです。望み(ティクヴァ)とは幾つの紐束をねじって紐を作るという動詞からの「紐」という意味です。ヨブの話を最初からわかる読者たちが黙想するのはどんな理不尽な苦しみがあっても「望み」を捨てないことでしょう。ヨブも、私たちも神様と十字架の紐で結ばれていることを忘れないようにしましょう。人生の窓に赤い紐を結んでおきましょう(ヨシュア2:21)
2024年10月15日
「私にもあなたがたと同様に、悟りがある。私はあなたがたに劣らない。だれかこれくらいのことを知らない者があろうか」(ヨブ12:3)。12-14章ではツォファルに対するヨブの反論が書かれています。三人の友が自分たちの神学によってヨブを断罪することに対して、ヨブはそれくらい知らない人がいるだろうかと、強く反論を広げます。ヨブは自分の苦難を通して、そのような正統的な因果応報的解釈によって理解できない矛盾と不条理が存在することを悟っていたのです。生ける神は人間が作った神学的枠を超えておられることを分かったのでしょう。「聖書は人々に神の無力さと苦難を指示している」というボンヘッファーの言葉ように、ヨブの苦難は神の無力さを悟らせ、同時にその苦難と共におられる主であることを悟らせ、神への切なる祈りへと導いていくものではないでしょうか。
2024年10月21日
「あなたがたは偽りをもって繕う者、皆、無用の医者だ」(ヨブ13:4)。ヨブはエリパス、ビルダデ、そしてゾパルの忠告にうんざりでした。もうこれ以上聞きたくなかったのです。全てを分かりきったように言うから、呆気に取られたのです。「どうか全く沈黙してください。それが知恵あることだ」(5)と言うのです。小さな有限な人間の頭で作り出した神学でヨブの苦しみをわかるはずがないのです。時には、沈黙が必要です。静かに深い黙想に入るのです。「沈黙する」(ハーラシュ)とは「主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」(出14:14)、つまり主に委ねることです。聖書や神学を少し勉強したからといって、なんでもかんでもわかるような顔をして扇動的に言っている者たちはハーラシュすべきである。
2024年10月22日
「人生は短く悩みと苦しみに絶えない。花のようにしおれ、影のように移ろい。はかない生涯を送らざるを得ない人てある。こんなむなしい人間にあなたは何故裁きの座に引き出して裁き続けるのでしょうか。あなたは人生を定められており、すべてがあなたの次第なのに、なぜ裁き続けるのか。このような人間から御目を逸らしてかまわあいでください」(ヨブ14:1-6[意訳])。これは、ヨブの諦め的な嘆きの言葉です。しかし、彼は言う。「木には希望がある。なぜならたとえ切られても、その切り株から若枝が生じる」(7)。旧約から復活の信仰を見出すのはそう簡単なものではないと言われるが、しかしキリスト者はここでごく自然にキリストの死と復活による希望の若枝を黙想するでしょう。主イエスは、倒れた人生を再び起き上がらせ、死んだ者をその墓から呼び出されるお方です。主を信じる者には復活が残されているのです。「望み」とは「二つをねじ合わせて一緒に結び合わせ、一本の綱にする」イメージを持つ動詞から言葉です。キリストと十字架の木でしっかり結び合わせられている「人には希望がある」のです。
2024年10月23日
エリファズによる大2ラウンドが15章から始まります。ヨブ記を通して多様な主題を黙想させられます。その一つはお互いに分かり合えない悲しみではないかと思います。エリファズは相変わらずヨブを罪人として断罪し叱責します。ヨブが罪を犯したから今の苦しみにあるのだという論理です。言葉自体は間違っていないかも知れませんが、ヨブは自分を少しでも理解しようとしない友たちにさびしさを覚えるのみです。ヨブが罪を認めないので、エリファズはどんどん激しくヨブを罪人として駆り立てていく過ちを犯しています。こんな時、イエス様ならどうされたのだろうかと、考えてみます。友が罪を犯しても、そうでないにしても、今、彼が苦しみと絶望の中で呻き悲しんでいるのですから、せき立てるよりは、彼を暖かく抱きしめて祈っていくことが求められるのではないでしょうか。
2024年10月24日
「そんなことを何度も聞いた。もうたくさんだ。あなたたちは慰める振りをしながら却ってわたしを苦しめるのみだ」(ヨブ16:2)。人が言葉で他者を慰めるとは本当に可能なことでしょうか。三人の友はヨブを慰めるつもりでしたがむしろそれらの言葉は叱責となり、ヨブをもっと苦しめることになってしまいました。ヨブはもう友の話を聞くのことに疲れ果ててしまったのであります(7)。むしろ、友たちはヨブのために祈った方がよかったのではないかと思います。もうたよれるところのないヨブは祈ります。「天には私の証人がおられる…そのお方が人のために神にとりなしをしてくださいますように」(20-21)と。「とりなしをする」と訳されたヤーカフは「弁論する」「裁く」「証明する」、「正す」という意味を持つ動詞であります。理由なき災殃的な苦しみと絶望を、誰がわかってくれるのでありましょうか。ただ仲保者のみがわたしの無念や悔やみを弁論してくださり、証明してくださると信じたのであります。このような仲保者がおられることを知って祈れるこそ、不条理と矛盾に満ちたこの世を生きる唯一の希望ではないないのかと思います。
感謝。

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2024年9月8日
(韓国)オリュン教会日本語礼拝
能瀬熙至伝道師「サルディスの教会」ボイス
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2024年9月15日(韓国)オリュン教会日本語礼拝
能瀬熙至伝道師「フィラデルフィアの教会」ボイス
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(韓国)オリュン教会日本語礼拝 2024/010/6「倒れそうなときに」能瀬熙至伝道師(音声プログ(日本語/韓国語)
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【賛美】主の計画の中で
Seekers (Within Your Plan
주님의 계획속에서
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【賛美】いつもいつまでも
Seekers (Always
andForever
항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=MsfDBkdK3XQ&feature=youtu.be






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最終更新日  2024年10月24日 14時26分23秒
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