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2024年11月14日
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カテゴリ:お証し



韓国の信仰の友より2024年11月8日・9日・11日・12日・13日・14日

韓国の信仰の友より
2024年11月8日・9日・11日・12日・13日・14日
いつも有難うございます。
2024年11月8日
「神は生きておられる。彼はわたしの義を奪い去られた。全能者はわたしの魂を悩まされた」v(ヨブ記 27:2)。27章は友人たちに対する9番目の弁論です。因果応報的に苦難を理解する友人たちの神学に対して、ヨブは「義人が苦しみを受ける不条理」について神に問います。「私は私の義をしっかりと握り、決して手放さない。私の心も決して私の生涯を嘲笑わない」(6節)。ここでは、ヨブを苦しみへと追いやる神を、それでも見捨てないヨブ自身の実存的矛盾を見ることができます。これは信仰の逆説です。一言も語られない沈黙の神、ご自分を隠される神を最後まで信じ従っていくヨブの信仰です。見えない実体、つまり自らを隠された神を見つめながら最後まで生き切ってていく信仰者の姿こそ、ヨブ記を通して私たちが祈り求めるべき課題ではないかと考えます。
2024年11月9日
ヨハネによる福音書2章は「三日目」という言葉で始まります。著者は1章から日数を数えてきました。2章1節に至って、日数では7日目となります。そしてこれ以降は数えることはありません。おそらく、この三日目(七日目)という日は、明らかに著者にとって何かが起こるべき日という意味が込められているようです。1章の最後で語られた「より大きなこと」が起こるべき状況なのです。創世記もまた、1章5節から日数を数え始め、2章1-3節で語られているように、第七日目に天地創造を完成させたと証言しています。この七日目とは、創造された人間にとって最初の日であり、人間はその生命の最初の日から神と共にあるべき存在だったということを現しています。神が人間を御自身の傍らに置かれたとき(インマヌエル)、創造の完成が起こったのです。神と人間が共に歩み出す瞬間が、天地創造が完成された日です。このような七日目の祝福が回復される「三日目」をヨハネは語ろうとしているのです。
2024年11月11日
知恵はどこから来るのか、悟りのある所はどこか」(ヨブ記28:20)。ある方の説明によれば、人生の秘密、人生の本質を明確に把握して離さないという動詞がこの知恵という言葉の本来の意味であると言われます。そこから自分の姿をもう一度見つめ直し、今の自分の存在を確かめるのです。「悟り」(ビーナー)と訳された言葉の動詞形は「ビーン」(見分ける、認識する)、それとの関連語として「ベーン」(~の間に)があります。言うならば、悟りとは、神と私との間に喜ばれるものとそうではないものを識別する能力です。結局、ヨブの結論は28節で、「知恵は主を畏れる」ことであり、「悟りは悪から離れる」ことだと、結論をだします。今日も、知恵と悟りのある一日を過ごしましょう!
2024年11月12日
「ああ、できれば、私は、昔の月日のようであったらよいのに。神が私を守ってくださった日々のようであったらよいのに。あのとき、神のともしびが私の頭を照らし、その光によって私はやみを歩いた」(ヨブ記29:2-3)。今でいう「あの頃は良かった」という言葉がありますが、ヨブ記29章は、まさに「ヨブのあの頃」の物語です。その頃のヨブは、まるでイエスのような人物でした。人々は彼を見ると立ち上がって敬意を表し、彼は正義の衣をまとい、公平に人々に接していました。目の見えない人の目となり、足の不自由な人の足となり、人々は恵みの雨を待つように彼を待ち望みました。そして、彼は誰に対しても心からの慰めを与える人でした。しかし今、彼は言葉では表現できないほどの苦しみの中にいます。なぜ?なぜ?と問いかけても、主は沈黙されたままです。ヨブが過去を振り返る時、最も懐かしく思い出すのは「あの時は全能者が私と共におられた」(5節)という事実でした。神が共におられた時、彼はイエスのような歩みができたと告白しているのです。29章から31章は、ヨブの最後の弁論です。29章では過去の栄光を、30章では現在の惨めさを語り、31章では自らの無実を主張しながら、神からの最終的な答えを待ち望みます。全能者はどのようなFINAL ANSWERを示されるのでしょうか。待ち通しです。
2024年11月13日
神に卑しめられた人
「今や私は嘲笑う…今や私は彼らのあざけりの歌となり…今や悩みの日に私は捕えられた」(30:1,9,16)。一体あなたは何者なのですか?私は苦しむ者と共に涙を流し、貧しい魂に慈しみを与え、痛みに苦しむ者のために心を痛めてきました。しかし、あなたは何をしているのですか?あなたは全くそうではありません。私は光を仰ぎ見て正しく生きてきたのに、結局は暗闇に投げ出される身となってしまいました(25,26)。これをどのように考え、受け止めればよいのでしょうか? かつては良かったのに(29章)、「今は」(30章)すべてが崩れ去りました。過去と現在がまったくつながりません。ヨブが三度も「今は」を繰り返すことで、なぜこのようなことが起きたのか、まったく分からないという切実な思いを表しています。呼びかけても全く応答がなく、あなたの前に立っても振り向きもしないあなたは、一体何者なのでしょうか(20)?実に、ヨブは神が直接卑しめられた者に過ぎないのではないでしょうか。ヨブの悲惨と悲しみと絶望で満ちているのが30章です。私たちは、神の沈黙の中で、苦難の中でしか神に出会えないのでしょうか?
2024年11月14日
ヨブ記31章で印象的なのは、ヨブが「もし私が~」という形で17回も繰り返し、自らの潔白を訴える場面です。これは古代ヘブライの法的形式に従った「潔白の誓い」であり、12の項目にわたって自らの無実を主張しています。特に注目すべきは35節の「ここに署名する。全能者よ、答えてください」という、神への切実な訴えです。ここでの「署名」(タブ)という言葉は、聖書全体でわずか3回しか使用されない稀少な表現です。同じ言葉は、エゼキエル書(9:4,6)で、正しく生きた人々の額に御使いが付ける「しるし」としても登場します。このヨブの「署名」は、彼の歩みが神との深い交わりの中にあった証しではないでしょうか。確かに、完全な義を主張することは傲慢に映るかもしれません。しかし、これは神に守られ、導かれてきた確信があってこその告白であり、神との親密な関係に基づく、誠実な応答だったのです。私たちキリスト者は心に「タブ」があるのです。神様は私たちに証印を押して、保証として私たちの心に「霊」を与えてくだいました(IIコリ1:22)。だから、何でも祈れるのです。なんで?私はこんな目に遭わなければなりませんかと叫びなさい!主はまた答えてくださいます。私たちには聖霊の「タブ」があります。
感謝致します。

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最終更新日  2024年11月14日 11時22分51秒
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