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カテゴリ:その他
香港から日本に帰国して、ようやく日本に慣れてきたというか。日本を懐かしく感じる余裕がでてきたというか。
懐かしいついでに、ノスタルジックな時間旅行に出てみた。 うちから1時間の茨木市は私の本籍地、住んだことはないけれどおばあちゃんが生前住んでいたので、よく通っていたため、私の第2の故郷と言っても過言ではない。 ※しかし20年ぶり! いきなり茨木市駅が美しく生まれ変わっていたのでビックリした。ひゃ~、ココはどこ?私は誰?? おばあちゃんの家までの道のりを辿る。 もう景色が違うし!(゚∀゚;) お寺だけが当時の姿を残す。その先に踏切があるはず。 あった。今でもときどき私の夢の中にでてくる踏切。 スーパーも、パーマ屋さんも、駄菓子屋さんも、ことごとくつぶれてるし。 あぁっ、おばあちゃんの家なんか、原型を思い出せないほど無くなってマンション群に変身してるし!(゚∀゚;) 昔はよくアゲハ蝶が飛んでいた。道端の溝の脇に水仙が咲いていた。近所の家には、ほおずきの実がなっていた。 夏は、おばあちゃんの家に行く前に、道々の駄菓子屋で、カップのバニラアイスと、真ん中がバニラで周りがカキ氷の 「みぞれ」 をいつも買って行った。 その駄菓子屋も無くなっていた(T-T) おばあちゃんの家の隣に、美世ちゃんというお姉さんが住んでいた。私が小学生の頃、おばあちゃんの家に行くたび、よく遊んでくれた。 おばあちゃんの家でお風呂に入れてもらったこともある。 私には無かったけれど、美世ちゃんにはおっぱいがあった。 しかし美世ちゃんが17のとき突然会えなくなってしまった。 なんでも、美世ちゃんに男ができて家出したということだった。もっと聞くと、美世ちゃんが妊娠したため、両親に勘当され、もう美世ちゃんはこの家には戻ってこないということだった。 いつも遊んでくれた優しいお姉さんだったのに、さみしい~。 ご両親は相当怒っていたようだった。それから、美世ちゃんには本当に1度も会うことがなくなってしまった。 しかし、会えなくなってしばらくしてから、美世ちゃんの家の庭で、美世ちゃんのお父さんが嬉しそうに乳飲み子をだっこして、あやしている姿を見かけた。 きっと、ご両親は美世ちゃんを許したのだ。 そんな思い出の美世ちゃんの家もろとも、おばあちゃんの家の並びが全部なくなっていたので、もうあの景色は、時々でてくる私の夢の中でしか見ることができなくなってしまったということなんだなぁ…(iωi) 昔おばあちゃんとよく行った神社へ足を伸ばしてみた。 あった。お稲荷さんも、あった。お賽銭を入れてみた。 今でもときどき夢にでてくる神社は、ここ。 当時の面影はわずかにお寺と神社と踏切だけ…、と思ったら、おぉ!道端に、おしろい花が咲いているじゃないか!なつかしい~!今でも日本に咲くの?(T∀T) 昔、学校からの帰り道、ピンクや黄色のおしろい花を摘んでラッパみたいにして吹いて遊んだ。 香港では、ブーゲンビリアは咲いても、おしろい花は咲かない。そういえば昔、沈丁花もよく咲いていた。 今でも日本に咲くのかなぁ? 私が帰国したのが4月なので、それから季節が一周するまでには、また沈丁花を見ることができるだろうか? → …思い出は既にセピア色 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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