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カテゴリ:徒然なる日記
そんな アメリカンな俺様が 大学進学して
手に入れたのは スズキのRG250E この選択の意味は思い出せない。 経済的理由で250ccからのチョイスのはずであり ほかにも選択の自由はあったはずなのだが なぜか ロードスポーツへとなったしまった訳だ。 その後 ガンマに乗るようになって ロードレースへと 進むのだから、このRGが 俺のバイクライフの 分岐点であったのも 懐かしい記憶である。 でも どこかに「ハーレー」への憧れは残っていたようで '77デビュー わずか2年の寿命だった「XLCR」だけは 気になっていた。 俺のカスタムの基本はココにあるような気がする。 その後、ロードレースに参戦するのだが 師匠と仰いでいたのは キング・ケニーである。 ハングオン なんてぇ単語が 乗り方の教本にでるようになったのであるが ケニーの速さの秘密は ダートトラックだ! なんて記事を見て その世界じゃ ハーレーが速いっ! なんてことを知ったのも 記憶にある。 今 街ん中で走っているのは こいつ「FTR250]の復活版の223であり ’86デビューの和製ダートトラッカー セールス的には失敗したが 実は すんごいバイクだった(エンジンやサスなんぞ・・・) 友人の奴を 半ば強引に 借りて乗っていたのも懐かしい。 マイナーではあるが かすかにダートトラックがブームになった。 (たしか 大分にサーキットが出来たはず。 俺様も何かの雑誌の企画レースで原付クラスで優勝した記憶が・・・) で 鮮烈な印象を残したのが このマシン いわゆる ホモロゲモデルで [XR1000]'83,84の2年間だけの生産で 当時の日本には ほんとにわずかしか入荷していないはずである。 右側二本出しのでっけぇエアクリと左二本出しのアッパーマフラーのシンメントリックなアンシンメントリックに ぞくぞくした。 今でも スポーツスター系のカスタムの定番であるが 25年(四半世紀)も前の デザインだったのであるよ(^_^)v その後 映画の「マルボロマン」で ココロ踊らされ ハーレーの仲間として ビューエルなんかも出てきて ちょっぴりハマったりしたのも つい最近である。 結局 原体験として 思い出しきれないのだが 俺様にとって 「Harley-Davidson」に 特別な感情があるのは事実のようだ。 それこそ 以前より友人や知り合いにハーレー乗りはいたが やはり、PONちゃんやアキラ。さんの影響が大きいのも認識している。 16歳で免許を取った俺様は 今年がバイク免許取得30周年の節目を迎える。 ホントはどうでもいいのだが 大義名分というか 大口上というか 言い訳というか・・・ まぁ なんでもいい (^^ゞ なんとなく あきらめに近い感情で 距離を置いてきたのだが 心機一転 今年の「目標」として ハーレー・デヴィッドソン 狙い始めようかな! なんて 2008年 です。 さぁ がんばるぞぃ!!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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