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モラルに体当たり記

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November 14, 2006
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カテゴリ:考えごと
かつてラカンは弟子たちにこう言ったという。

「君たちラカン派にとって、世の中がラカン的な象徴に満ちているように見えるのは、君たちがラカン派であるからにすぎない、君たちがユング派だったりクライン派だったりしたら、世の中はユング的あるいはクライン的に見えるだろう」

自らの業績を相対化してみせた皮肉たっぷりのこのラカンの言葉は、ある種、学びの本質を端的に言い表している。

学ぶということは、単に知識を得ることではない。
学ぶとは、その得た知識によって、世界を見る枠組みがかわることを指す。

逆に言えば、たとえどんなに知識を得ても、その人の世界の捉え方が変わらなければ、その知識の獲得は「学び」とはいえない。

ある知識を得ることで、今まで何でもなかったかのように見えていた風景が、別のリアリティをもってうかびあがってくる。
それが、学びである。

たとえば。

ルビコン川は、カエサルの話を知らない人にとっては、小さな何の変哲もないイタリアの田舎の川である。その知識がなければ、そこをわざわざ訪れても、何の感慨も生まれないことは間違いない。

しかし、カエサルの話を知っている人にとっては、ルビコン川は、わざわざ訪れるに値する壮大なロマンを感じる場所である。

ある知識を獲得することで、何の変哲もなかった川が、偉大なカエサルの足跡の第一歩に変わる。
その川の風景は、その知識を獲得した人の前には、全く違うものとして立ち現れる。
世界の認識が変わるのである。

同様に、
マルクスを知れば、世界は階級的に構成されているように見えてくるだろうし、
ニーチェを知れば、世界は愚民であふれている(w)ように見えるのだろう。

その意味で、学ぶ楽しさのひとつとは、どんどん変わっていく自分自身を発見することだ。

だから私が、会うたびに違うことを口走っていたとしても、それは私が一生懸命学んでいることの証。

ちょっとくらいの一貫性のなさは、見逃してほしいものである。






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Last updated  November 14, 2006 08:11:17 PM
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